過ぎ去った事柄を歴史的なものとして明確に言表するとは、それを〈実際にあった通りに〉認識することではなく、危機の瞬間にひらめくような想起を捉えることを謂う。歴史的唯物論にとっては、危機の瞬間において歴史的主体に思いがけず立ち現われてくる、そのような過去のイメージを確保することこそが重要なのだ。[Benjamin, 1971=1995: 649]
本稿では、まずはじめに、ウェーバーとパーソンズに対してシュッツが行なった批判を整理する。つづいて、この批判の背景にあったシュッツの危機認識を、シュッツによる "discrepancy" という言葉の用例に注目しながら考察する。このことを通して、かつて下田直春が「何と長閑な平和な世界であることか」[下田,1978: 120]1と皮肉混じりに嘆息したような生活世界像とは異なる、さまざまな亀裂が走り、不一致と食い違いに満ちた、危機としての生活世界像を、シュッツから取り出すことが本稿のねらいである。
1960年代から70年代にかけての「アンチ・パーソンズ」の時代には、シュッツの社会学は、パーソンズ批判という文脈のなかで、ある意味で外側からそのアクチュアリティを保証されていた。しかし、その後「ポスト・パーソンズ」の時代へと移るにつれ、シュッツ社会学は、ひとつにはその成果がハーバマス、ブルデュー、ギデンズらの統合的な社会学理論のなかに回収されていったことによって、あるいは単純に読まれなくなったことによって、そのアクチュアリティをしだいに失っていった[西原,1998]。本稿は、シュッツの生活世 界像を再検討することを通して、「アンチ・パーソンズ」の時代には十分に明確にされないまま自明視され、その後、見失われていったシュッツ社会学のアクチュアリティの所在を再確認し、その回復をめざすものである。本稿がめざすのは、シュッツを「歴史化」すること、すなわち──ベンヤミンの言葉を借りれば線シュッツを〈実際にあった通りに〉認識することではなく、シュッツを「現在化」すること、すなわち危機の瞬間にひらめくようなイメージとして、シュッツを取り戻すことである。
まず、ウェーバーとパーソンズに対するシュッツの批判をかんたんにおさらいしておこう。
シュッツのウェーバー批判は、『社会的世界の意味構成』のなかの次の文章に要約されている。
彼[ウェーバー]は、世界一般が、したがってまた社会的世界の意味的現象が、素朴にも間主観的に一致するものとして仮定することで満足している。[Schütz, 1932=1982: 20]
シュッツがここで問題としているのは、ウェーバーが、行為者の主観的意味と、それをとらえるために社会学者が構成する理念型の関係を明確にしないであいまいなままに放置しているということである。それは、たとえばウェーバーが『社会学の根本概念』のなかで、「動機」を、「行為者自身や観察者が或る行動の当然の理由と考えるような意味連関」[Weber, 1922=1972: 19]と定義しているところに典型的に現われている。ウェーバーは、この定義のなかで、シュッツにとっては明確に区別されるべき「行為者自身がある行動の当然の理由と考えるような意味連関」と「観察者がある行動の当然の理由と考えるような意味連関」を、両者の関係についてそれ以上述べることなく、無造作に併置して いる。
これに対して、シュッツは、『社会的世界の意味構成』において、「主観的意味連関についての科学はいかにして可能なのか」[Schütz, 1932=1982: 311]という問いを明示的に立て、行為者の主観的意味連関とそれを理解するために社会学者が構成する理念型の関係そのものを主題化する。だが、この問いは、論理上、科学によっては、したがって理念型を構成することによっては、答えられない問いである。それは、理念型の構成に先立ってなされる、主観的意味連関についての解明を必要としている。そして、この要請に応えるためにシュッツが構想したのが、主観的意味連関の構成を行為者自身が反省を通して解明する「自然的態度の構成的現象学」であった[浜,1990]。
すでに那須壽[那須,1997]や西原和久[西原,1998]によって指摘されている通り、このシュッツのウェーバー批判は、学問の危機に対するフッサールの批判と並行するものであった。フッサールによれば、「学問の『危機』は、学問が生に対する意義を喪失した」[Husserl, 1954=1974: 16]ところにある。すなわち、ガリレイによる「自然の数学化」の結果として生まれた数学と数学的自然科学という「理念の衣」が、生活世界と取り違えられ、それを隠蔽してしまったことによって、学問とその意味基底である生活世界の関係が見失われたことから、学問の危機は生じているのである。
シュッツのウェーバーに対する批判は、数学的自然科学に対するフッサールの批判を社会科学の領域で展開したものであると考えることができる[吉澤,2002: 19]。すなわち、シュッツの批判は、主観的意味を理解するために社会学者が構成する理念型という「理念の衣」が、行為者の主観的意味と取り違えられ、それを隠蔽してしまうところに向けられているのである。シュッツは、これに対して、科学以前の生活世界における主観的意味連関の構成を解明することによって、生活世界と理念型の関係を視野に回復しようとする。
シュッツは、1940年から41年にかけて、パーソンズとの間で手紙をやりとりして論争を行なった[Grathoff, ed., 1978=1980]。この論争におけるシュッツ のパーソンズに対する批判は以下の4点に整理することができる[浜,1989]。
まず第1に、シュッツはパーソンズの「事実」の定義を批判する。パーソンズは、『社会的行為の構造』において、「事実」を「概念図式を用いてなされた現象に関する経験的に検証可能な言明」[Parsons, 1937=1976: 74]と定義している。この定義によれば、事実とは、概念図式を用いて科学者が構成するものなのである。シュッツはこの定義を「危険」[Grathoff, ed., 1978=1980: 73]なものであると言う。シュッツによれば、社会的事実は、社会科学者による構成に先立って、すでに行為者によって一次的に構成されているのであり、社会科学者による概念図式を用いた構成は「二次的な構成」にすぎないのである。パーソンズによる「事実」の定義は、この社会的事実に特有の構成様式を隠蔽してしまう点で「危険」なものであったのである。この批判は、シュッツがウェーバーに対して行なった批判とちょうどパラレルである。
ふたつめの、そしてこの論争におけるもっとも中心的な論点は「主観的観点」をめぐるものであった。パーソンズは、『社会的行為の構造』において、行為理論は主観的観点をとらなければならないことを認めている。
[行為]図式の準拠枠は、ある特殊な意味において、主観的である。つまりこの準拠枠が取り扱っているものは、その行為が分析され考察されている行為者の観点からみて、現出しているような現象—事物や事象—である。[Parsons, 1937=1976: 81]
これに対して、シュッツは次のように批判する。
行為の理論というのは主観的観点がとりいれられなければ無意味であることを、パーソンズ教授は正しく洞察している。だが彼はこの原理の根源をつきつめていない。彼は行為者の心のなかの主観的諸事象を、観察者だけに接近できるその事象の解釈図式ととり違え、したがって主観的現象の解釈のための客観的図式とこの主観的現象自体とを混同してしまっている。[Grathoff, ed., 1978=1980: 109-110]