はじめに──学と生──
life(live)、vie(vivre)、Leben(leben)といった言葉は、生命、生活と通常日本語に訳されている
1。こうした言葉たちは、一方では取り敢えず死との対立によって定義されるような次元(生命)、他方では取り敢えず理論的に(思考によって)構築されたものとの対立によって定義されるような次元(生活)という2つの次元を含み込んでおり、これらが重なり合ったり、その重なりを排除しあったりしながら、取り敢えずは1つの語に集約されるという仕方で使われている。以下、この〈取り敢えずは1つの語に集約される〉概念を一括して「生」と呼ぶことにする。
リダンダントな言い方ではあるが、社会科学の対象は広い意味での社会現象であり、それを担っているのは複数の人間である。その限りで、人間の社会的生は社会科学の対象である。このことは生物学などの自然科学(生命科学)が生物の自然的生を対象とすることに対応している。また、このことは社会科学や自然科学(生命科学)が観察し、思考(理論化)するに先立って、生が在ることを意味している。最近では、生物学において「人工生命(artificial life)」という研究分野が開かれてきており、社会科学においてもコンピュータ・シミュレーションに基づく研究がなされるようになってはいるが、こうした研究もあくまでも現実に自然的或いは社会的生が在ることを前提に、それをシミュレートし、再現しようとするものであり、現実の生が在り、それによってそれを対象とする学が存立するということには変わりはない。
このように、科学にとっては、先ず対象として、すなわち観察と理論化による加工=意味づけを俟つデータ或いは材料(material)として存在するわけだが、科学にとっての生はそれだけの意味しかないわけではない。科学という営為には、単純に言って、対象を定義し(同定し・差異化すること)、それらの対応関係や因果関係を画定することが含まれるが、そうしたこと、またそのために使用される言語や論理そのものは、科学そのものに起源があるわけではないのである。それらは科学以前的・以外的な生において、そうした生の一部として使用されていた言語・論理が転用されたものなのである。ということは、生というのは科学にとって、たんに対象(素材)としてだけでなく、その基盤或いは源泉としての意味もあることになる。またむしろ、科学は人間的生の中のある特殊な在り方であるといってもいいかも知れない。ここで、そうした人間的生の総体を「生活世界(Lebenswelt, life-world)」と言い換えてみよう。
そうした事情をフッサールは『危機』の第34 節において、
論理的意味での客観的理論(これを普遍的な言い方で言えば、述定的理論の全体としての学、「論理的に」「命題自体」「真理自体」と考えられている言表、又その意味で論理的に結合されている言表の体系の全体としての学)は、生活世界の中に、したがってそれに属している根源的明証性の中に根をおろし、そこに基礎をおいているのである。客観的諸科学は、ここにその根をおろしているからこそ、われわれがつねにその中で生きており、研究者としても、さらにまた共同研究者としてもそこで共同に生きている世界に、つまりは普遍的な生活世界に、たえず意味的な関係をもっているのである。しかしそのさい、客観的諸科学は、学以前の人たち・個人としても、また学的活動において共同し合うことになる人たちとしても・の作業として、生活世界に属している。[Husserl, 1954=1974: 181]
客観的−学的世界についての知識は、生活世界の明証性に「もとづいている」。生活世界は、学的研究者、したがってまた、共同して研究するもの建てられていながら、とにかくその建造物は新しく、ちがったものである。われわれがおのれの学的思考に沈潜することをやめるならば、われわれ研究者も結局人間であり、ともに生活世界という、つねにわれわれにとって存在し、つねにあらかじめ与えられてある世界の構成分として存在しているということに、われわれは気がつく。そして、全学問もわれわれとともに・単に「主観的−相対的」な・生活世界へとはいり込んでしまう。[Husserl, 1954=1974: 182]
と述べている。
さて、科学以外的・以前的な生活世界が理論的な営みの基礎にあるという、ある意味で当たり前すぎることが殊更学問論的な意味を持つのは、それは現象学において改めて発見されたものであるからにほかならない。ということは、生活世界が隠蔽されてきたということを意味する。勿論、生活世界は存続していたし、現に存続している。だから、学問以外的な生、科学的に構成されたのではない生の世界があることは誰もが知っていた筈だ(そもそもそういう生を生きていた)。問題は、フッサールがガリレイに帰している「自然の数学化」の帰結なのである。フッサールによれば、ガリレイにおいて、「数学的な基底を与えられた理念性」が「それだけがただ一つの現実的な世界であり、現実の知覚によって与えられ、そのつど経験され、また経験されうる世界であるところの生活世界」に「すりかえられて」しまったのである[Husserl, 1954=1974: 69]。その結果、以下のような事態が出来したのである。
「数学と数学的自然科学」という理念の衣・あるいはその代わりに、シンボルの衣、数学的理論の衣といってもよいが・は、科学者と教養人にとっては、「客観的に現実的で真の」自然として、生活世界の代理をし、それをおおい隠すようなすべてのものを包含することになる。この理念の衣は、一つの方法にすぎないものを02:20真の存在だとわれわれに思い込ませる。つまり、生活世界で現実に経験させるものや経験可能なものの内部ではもともとそれしか可能ではない粗雑な予見を、無限に進行する「学的」予見によって修正するための方法を、真の存在だと思い込ませるのである。[Husserl, 1954=1974: 73]
また、
現象はただ主観の中にあるにすぎない。現象は、真の自然の中で起こる過程の因果的結果としてのみ主観の中にあり、その過程そのものは数学的性質だけをもって存在する。もしわれわれの生活の直観的世界が単に主観的なものにすぎないならば、学以前の、学以外の生の事実的存在に関するすべての真理は価値を奪われることになる。このような真理は、たとえ誤っているにしても、可能的経験のこの世界の背後に横たわる即自存在、この世界を超越する即自存在を漠然と告知するかぎりにおいてのみ、無意味ではないとされた。[Hussel, 1954=1974: 76]
ここから、科学に抗して生活世界の「隠蔽」を解くという課題が提示されることになる。なぜ、「科学に抗して」なのかといえば、それは生を、生を覆う「理念の衣」から解放するという課題だからである。ゆえに、それは科学にとって自らの存立を問う再帰的な営みにならざるをえない。ただし、(これはフッサールに逆らうことになるかも知れないが)科学に抗する哲学という図式を持ち出すことも控えなければならないだろう。生を覆う「理念の衣」には当然、哲学という衣も含まれる筈であり、歴史的に考えるならば、ハンナ・アレント
2(さらに彼女に先立ってそれとは多少異なる視点からニーチェ
3)が示したように、理念(可知的ではあるが不可視であるもの)によるドクサ(見えるもの)の貶価は、フッサールが「ヨーロッパ的人間性」の起源として認定している「ギリシア哲学」(cf.[Husserl, 1954=1974: § 6])において既に起こっているといえるからだ。
また、生活世界の「隠蔽」を解くという課題、生活世界への還帰という課題は、焦点を学一般ではなく人間科学・社会科学に絞ると、多少とも複雑な様相を呈してくる。上述したように、言語や論理を使っての世界の理念化というのは学の世界(科学、哲学)に起源があるわけではなく、生活世界にある。さて、人間科学・社会科学の対象はといえば、端的に(生活世界を生きる)人間であり、その人たちが織りなす文化と呼ばれるものや社会制度であろう
4。とすると、生活世界への還帰は自らの言語・論理の起源に関する再帰的な問いということ、つまり学と生活世界(生)との相互依存性(共犯性?)への問いということだけではすまなくなる。ここで明らかになるのは、学という営みが学自身とは別の言語や論理の在り方、換言すれば他者の言語や論理の理解、あるいはそれらとの対話、翻訳(translation-interpretation)であるということである。そこで、私たちは一方では原理的なレヴェルにおける他者理解の可能性や翻訳の可能性という問題、他方では観察者(研究者)とその対象との間の(時には権力関係を含んだ)非対称性、さらには観察、記述或いは理論化という営みの持つ権力性や暴力性といった問題に直面することになるのである
5。このような問題を具体的・理論的に問い詰めていくことは決定的に重要ではあるが、ここでは取り敢えず問題の所在を確認することだけに止めて、先に進むことにしたい。
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