社会調査の現況に、質的調査法の復権がみられる。それは、1990年代とくにその半ば以降、「フィールドワーク」「ライフヒストリー」などの書名をもつ書籍が相次いで出版されていることをみても明らかだろう。このことの意味は大きい。ながく二次的な位置を与えられてきた質的調査法の復権は、これまでの社会調査理解の変更を意味しているからである。そこには、社会調査の従来のリアリティ──「もっともらしい(plausible)と感じる現実規定」[Berger & Kellner, 1981=1987 :87]──の動揺と新しいリアリティの生成がみられる。
だが、急いでいくつかの留保を付け加えなければならない。まず、質的調査法・量的調査法あるいは事例研究法・統計的調査法といった対立自体は、基本的に従来の社会調査理解によるものである。この二分法を前提とする社会調査論の再考を課題とする私たちにとって、質的・量的といった用語の使用は、便宜的なものである。そのうえで、社会調査の現況に関しては、つぎの点を強調しておきたい。第1に、この二分法については、それを「無意味なものとして切断する方向」[佐藤,1996: 12]の提起や、単純な分類の弊害と類型自体の「風化」[高坂・与謝野,1998: 209]の指摘がすでにある。しかし、「量」から「質」へと研究の歩みを「実際に進」めたある社会学者は、そうした指摘に「同意」していても、両者の「『国境』には深い谷があって、危なげな橋が架かっている」[吉川,2001: 110]ともらしている。この述懐が示唆しているのは、質的・量的という二分法の身体化である。第2に、社会調査という社会的相互行為は、自明視され、社会学的な検討の対象とはされてこなかった。1980年代以降の「パラダイム多元主義」やその「傾向性」としての「社会的リアリティが間主観的に構成された意味からできあがっているという主張」[塩原,1998: 11]が指摘された社会学理論は、社会調査とは無縁であった。たしかに、その傾向性を反映した近年の質的調査に関する著作においては、その社会学的なまなざしが自らの「フィールドワークの経験」[好井・桜井,2000]や「インタビュー」[桜井,2002]にも向けられている。しかし、それは量的調査には及ばない。つまり、社会学には「奇妙な棲み分け」[井出・張江,1998: 190]が成立している。第3に、質的調査の復権がみられ、また第1でみた指摘があるにもかかわらず、「社会調査」としては、「質問紙を用いた統計調査法」が「社会学のみならず、諸社会科学や世間一般に汎用されている」[中道,1997: 8]という了解のもとに、多くの社会調査論が質的・量的の二分法にもとづいて展開されている1。こうして社会調査は、あたかも自動機械のごとくに稼動しつづけている。これがわが国における社会調査の現況である。
このような認識のもとに私たちは、かつて、質・量の二分法的理解にもとづく従来の社会調査論の一貫した構えを取り出し、「統計的方法は〈客観的〉か」と問うた。「どのような意味でも、方法の明示化=標準化をもって、統計的方法の〈客観性〉は主張できない」[井出・張江,1998: 217]。これが、その問いへの回答であった。その際に、残された課題の1つとして、「〈社会調査への信頼〉が社会的に形成される過程を歴史的に遡及する作業」を掲げ、それを「社会調査の知識社会学」と呼んだ[井出・張江,1998: 220-221]。この〈社会調査への信頼〉を社会調査のリアリティといってもおなじである。この社会調査の知識社会学の必要性を具体的に例証することが、本稿の課題である。
以下では従来の社会調査論を「現代型」と呼ぶことにしたい。そのうえで、つぎの手順によって本稿の課題に応えたい。まず、現代型の調査論とはいかなるものであり、それはいつ誕生したのかを、佐藤健二の論考[1996]を参照しながら確認する。この作業によって、現代型の調査論の特質と同時に、現代型以前の調査論—戦前型—のそれが明らかにされる。つぎに、調査論の戦前型から現代型への転換において行なわれたことの内実を、当時の社会調査論に内在して検討する。具体的には、この転換には論理的には説明できない大きな飛躍が存在することを明らかにする。このことによって、従来の社会調査論を十全に吟味するためには、その内的地平に関する方法論的議論だけでは不十分であること、つまり、社会調査のリアリティを主題化する、社会調査論の外的地平をも視野にいれた社会調査の知識社会学が不可欠であることを主張したい。
このような目的と手順から推測されるように、本稿で行なう課題遂行は、方法論的議論だけでは不十分であるという、いわば不在証明である。しかし、これが社会調査の知識社会学へと向うための不可欠の前梯的作業であると考える。
社会科学の諸領域は、社会事象の理解を基本的な共通の目的としている。……そうした一見混沌とした社会事象を定量的あるいは定性的に認識する最も基本的で有効な手段が社会調査である。[岩永・大塚・高橋編,2001: 10]
これは、「社会調査の基礎」を講じた教科書の第1章の冒頭部分である。この引用では、社会調査による社会事象の認識のあり方が「定量的」と「定性的」の2つに分けられることが、自明のこととされている。それは、この言説が「量的調査」と「質的調査」という社会調査の類型を前提としているからである。ここに端的にみられるように、社会調査法を量的調査法と質的調査法あるいは統計調査法と事例研究法との2つに峻別し、さらには前者は「客観的」で後者は「主観的」であるとする対蹠的な把握は、戦後日本の社会調査の世界においてながく「常識」であった[井出・張江,1989: 3]。佐藤が指摘するように、「2つを対称させ、大文字化された分類枠とするスタイルは、現在の日本の社会調査論に共通の骨格を構成している」[佐藤,1996: 6]2のである。このような二分法を特徴とするのが現代型の社会調査論である。
では、この現代型の調査論はいつ誕生したのだろうか。この検討を、佐藤の周到な分析を参照しながら、戸田貞三の『社会調査』[1933]から始めたい。周知のようにこの著書は、わが国最初のそして戦後の一時期までわが国「唯一」[福武,1949: 60; 甲田,1952: 9]とされた社会調査の概説書である。戸田が、その枠組みとして採用するのは、「調査対象の範囲」[戸田,1933: 80]を基準とした分類である。「調査の方法はこれを大別すれば、一、全体調査、二、部分調査、三、個別調査の三種となる」[戸田,1933: 79 原文は旧字旧かな]。同書について佐藤は、「量的/個別的もしくは量的/記述的という対比」を採用しているが、たとえば個別的調査法の説明においても、「質的ということばが主軸にすえられてはいない」[佐藤,1996: 6-7]ことに注意を促している。
しかしながら、「こうした3分類の説明のなかから、しだいに量的/質的という分け方が強く」なり、また、「原理的には量/質の2つに分けることが説明しやすいという発想が強くなってくる」[佐藤,1996: 7]。佐藤は、このことを、鈴木栄太郎[1938; 1948]、喜多野清一[1948]、内藤莞爾[1950]らの社会調査論からの引用を参照しながら例証するとともに、「アメリカ社会学におけるチェーピン以後の社会調査論の作用」[佐藤,1996: 8]の重要性も示唆している。こうした変化を背景に、「『量的/質的』という対立の論理的な地平は、福武直が書きおろした入門書的な教科書『社会調査』[1958]によって形式的に完成する」[佐藤,1996: 8].... →続きを読む(頒布案内)