近年、「新・宗教研究の課題と展望」(「宗教と社会」学会第9回学術大会ワークショップ、2001年)、「関西発の新・宗教研究」(同第10 回学術大会ワークショップ、2002年)、「宗教社会学の再生に向けて」(第75 回日本社会学会大会テーマセッション、2002年)の開催に見られるように、日本の宗教社会学者たちの間では宗教社会学という学的営為を問い直し、再構築しようとする動向が活発化している1。例えば、「宗教社会学の再生に向けて」のテーマセッションの趣旨文には、「近頃の宗教社会学は元気がない。古典期の社会学者は、宗教を通して社会の形成、変動を理論的に考察し、同時代の社会理論に貢献した。現代の宗教社会学は……制度化された宗教に特化しすぎ、現代社会を俯瞰する視座を切り開くような研究が少ない」と記されている2。周知の通り、(宗教)社会学の礎を築いた M. ヴェーバーと É. デュルケムの学的業績においてはプロテスタンティズムやカトリック教会といったキリスト教の分析が重要な位置を占めており、彼らの学的営為の一端は、宗教という鏡を通じての現代社会論というべき性格を持っていた。宗教は社会秩序の成り立ちや変動を分析するための重要な対象だったのである[cf. 大村,1996]。
(後述するように)1900年前後に日本の宗教研究が学的・制度的に確立してから100数年経った現在、宗教社会学者は、どのように「現代社会を俯瞰する視座」を提供し、「同時代の社会理論」に貢献できるのか、そのことを考えてみたい。その際、この100数年の日本宗教社会学史を振り返り、この学的領域が宗教や社会をどのように分析し、どのような現代社会論を提示してきたのかを明らかにすることを通じて、宗教社会学という学的営為を問い直し、その現代的な課題と今後の展望を詳らかにして、現代社会を分析するための方途を提示したいと思う。
すでに私は、20世紀日本の宗教研究史に関する研究[大谷,2000; 2004]を公表しているが、今回は、1986年に刊行された宮家準・孝本貢・西山茂編『リーディングス日本の社会学19 宗教』([宮家・孝本・西山編,1986]、以下、『リーディングス』と略)に注目する3。これは、現在までのところ、日本の宗教社会学唯一のリーディングスであり、1986年1月時点での宗教社会学の到達点が提示されているテキストである。このテキストの読解を通じて、日本の宗教社会学の歴史と特徴を摘出し、さらに『リーディングス』では言及されていない戦前の研究動向と、『リーディングス』刊行後の研究動向を整理することで、上記の課題に応えたいと思う。
そもそも宗教社会学とはどのような学的領域なのだろうか。社会学の立場からすれば、社会学のサブカテゴリーであり、いわゆる連字符社会学の一領域である。ここで、「宗教社会学」の定義を確認しておこう。本稿では、『リーディングス』「序論」の「概説 日本の社会学 宗教」(宮家準執筆)4 における以下の定義に従う。
宗教社会学は宗教現象を社会学的に研究する学問であるが、特に宗教集団や宗教と社会との関係を研究対象としている。[宮家,1986a: 4]
なお、『リーディングス』では、「宗教の本質を解明することを目ざす宗教学の立場にたつ 宗 教 社会学」と「宗教の場における社会関係に注目する社会学の視点にたつ宗教 社 会 学」を区別しており、後者の立場に立つ論文を掲載したと 述べられている(「はしがき」[宮家・孝本・西山編,1986: iii])5。
この定義をめぐって、現代の宗教研究が抱える2つのアポリアが浮上する。「宗教」概念の相対化と「宗教と社会」に関するマクロな分析枠組みの不在という問題である。これらのアポリアに対して対応しきれていない点が、今現在、日本宗教社会学が停滞している原因の一端であると私は考える。
『リーディングス』で言及されている「宗教の本質」や「宗教の場」と言った場合の「宗教」とは何を意味するのか。この問いは「宗教とは何か」という宗教研究における伝統的な問いに回収される問題ではなく、宗教概念自体の来歴と形成を問い直す問題として、近年の欧米と日本の宗教研究で話題となっている。それは、「われわれの用いている宗教religion という概念は、近代西洋において構築(構成)された概念であり、非西洋世界にさまざまな葛藤をもたらしたものである」[堀江,2004: 22]と整理される「宗教概念批判論」[ibid.]という問題系である。すなわち、「宗教」概念は所与の実体概念ではなく、近代の西洋世界の中でキリスト教(とくにプロテスタンティズム)を規準として構築された記述概念であることが欧米の研究者たちによって指摘されており、「宗教」概念の普遍性を説く本質主義的な研究立場に対して、その被構築的な特殊性を強調する構築主義的な研究立場からのクレイムは、これまで自明とされてきた「宗教」概念の相対化をもたらしつつある6。
磯前順一によれば、日本語の「宗教」は religion の訳語だが、もともとは漢訳仏典の造語であり、明治10年代以降に普及し、定着した近代的な認識様式の所産である[磯前,2003: 29-38]。日本語の「宗教」概念にもプロテスタンティズム的な、概念化された信念体系を保持した制度宗教という含意があり、教団や寺院、神社、教会のような公式組織としての制度を基盤とする社会現象というイメージがある。しかし、近年の日本社会の一部で話題となっているスピリチュアリティ(spirituality)などの非制度的な現象を、従来の「宗教」概念で把捉できるかどうかという問題が生じることになる。
こうした「宗教」概念の相対化という問題は、当然のことながら、「宗教の本質」や「宗教の場」を研究対象とする(とされた)宗教社会学の存立も問い直すことになる。→続きを読む(頒布案内)