シュッツのレリヴァンス論で論じられているテーマは、いかにして人が対象を認識するのか、という古くからあるテーマと重なっている。カントは、倫理(価値)と認識とを切り離したが、その後の新カント学派においては、この両者の関係が再び複雑なものになった。また、アメリカで生まれたプラグマティズムにおいても、実践的な関心と行為とが認識内容と切り離せないものとして論じられた。フッサールにおける価値と認識との関係も複雑である。
この価値と認識との関係を考えていく際に注意せねばならないのは、この「価値」という概念がもっている含蓄の深さである。価値という概念は、往々にして「倫理」の領域と結びつけられて語られる。少なくとも、価値概念は、感情とは異なった、ひとつの判断と結びつくものとして哲学の世界では扱われてきたといってよいであろう。何かについて「価値がある」という表現は、「……が良いと思う」とか、「……が大切である」などという表現で置き換えることができるが、そのように思うことと、われわれが自分たちの眼差しをその何かに向けることとの関係はどのようになっているのであろうか。何かについて生活上の必要性や魅力を感じる時、われわれはその「何か」を認識し、その存在を捉えている。対象に眼差しを向ける理由が実践的に先行していたから、その対象が認識されるようになったのか、それとも、認識してから、それが自分にとって必要なものだと判断できたのか。この「望ましい」とか「知る価値がある」という判断に含まれる、「良し悪しについて主張する実践的関心」と「認識を開始する着眼点を与えるという側面」との関係を問題にしたのが、新カント学派(特にリッケルト)の哲学であり、マ?クス・ヴェーバーの「価値自由」の考え方であった。
ところで、新カント学派、プラグマティズム、そして現象学は、われわれが、自分たちの「主観」的作業との関わりで世界を体験する、という事実を見つめる。同時に、われわれは、単なる孤立した自分だけの空想に浸り、勝手に思い描いた世界を生きているときもあれば、「現実」を生きていると思っているときもある。では、「空想」ではない「現実」、「虚構」ではない「事実」というものは、どのようにして、自分だけの「思い込み」という枠を越えて、他者と共有し、「客観的事実」であるとか「正しい認識」と言い得るかたちで、われわれの手に入るのであろうか。自分たちの主観的な関心や価値観が、対象の認識や認識内容の真偽の問題に影響を与えるのかどうかは、歴史や文化や人間の社会的行為や組織を対象とする科学にとっては、その「科学」たる権利を問われる重大な問題であった。
『認識の対象』第2版を書いた頃のリッケルトは、「正しい認識」の証を「明証性」の「感情」に求め、事実の認定を、われわれの判断の妥当性を主張する一種の「権利」問題だと論じた。また、プラグマティズムは、われわれの行為に伴う実践的関心との関係でしか真理については語れないという、一種の真理をめぐる相対主義的な立場を取った。さらに、『イデーン』第1巻(1913 年)を書いた頃のフッサールは、「本質観取」ということを論じて、臆測や期待などに基づいて行われる判断の根底に、それらの主観的要素から独立した「意味」の領域を想定した。しかしまた、それらはいつも、「ノエマ」「ノエシス」関係として、われわれの認識作用のなかで体験されるのであった。
では、シュッツのレリヴァンス概念は、以上のような状況において、どのような位置を占めるものであるのだろうか。彼のレリヴァンス概念を検討することは、価値や実践的関心や解釈が認識において果たす役割を再考し、認識をめぐる理論がもっている問題点を明らかにするのに役立つ。
それゆえ、本論文では、まず、シュッツのレリヴァンス論を、プラグマティズム、新カント学派リッケルト、フッサールの現象学、およびルーマンにおける諸見解との関係で検討し、われわれの世界に対する実践的関心、価値、および世界についての認識との関係について考察したいと考えている。
シュッツは、新カント学派を批判しているが、その代表者の1人であると思われるリッケルトの見解は、唱えられた時期によってその内容に根本的な相違がある。前期リッケルトは、『認識の対象』第2 版(1903 年)において、「論理的良心」は「倫理的良心」の「一形態にすぎぬ」[Rickert, 1903=1919: 350]と論じ、また、「われわれの『世界観』を支配する実践理性の優越性の認識論的論証」を行う[Rickert, 1903=1919: 6]と述べていた。
しかし、リッケルトの弟子のラスクは、1908 年の講演『論理学に実践理性の優位はあるだろうか』において、「価値哲学が言う《実践》を道徳的な意味をこめた『実践』に短絡させることは許されない」と指摘した[九鬼, 1989: 32]。ラスクは、その講演のなかで、「実践理性の優位についての学説」の欠点について、「客観的な真理の妥当に主観的に相関するものとしての認識と、学問への倫理的献身とは、互いに区別されるべきであり、後者は前者に要素として含まれている。『認識』という主観的領域は倫理的人格的領域からまったく独立している」と批判している[Lask, 1908:355]。
この批判を受けたリッケルトは、認識内容と事実そのものとの一致の問題を問うことを止めて、『認識の二途』という論文を発表する。そして、中期以降のリッケルトは、認識における価値と実践における倫理的価値とを厳密に分ける立場をとるようになったのである。米田庄太郎は、リッケルトの立場を以下のように要約している。「価値は実在に付着するが、実在其の物ではない。……又同様に吾人は価値と評価作用とを区別せねばならぬ」[米田, 1922: 233]。カントは、純粋理性と実践理性とを分けて論じていたが、リッケルトにおいては、この両者の区分が微妙なものになった。上で見たように、ラスクの批判を受けて、リッケルトは認識に関わる価値と実践における価値を区別するようになったが、それ以降も、リッケルトにとっての認識とは、「事実の経過の如何を問うのではなく、事実の含む意味と価値と権利の根拠を問う」ものであった[高坂, 1931: 7]。彼は、『認識の二途』の結びの部分で、「実在に対立した『論理的』の領域は、常に理論的価値の世界として理解せられねばならない」[Rickert, 1909=1919: 489]と述べている。
そのようなリッケルトにとっては、歴史的文化科学的な概念の構成も価値関心と切り離して成立するものではなかった。異質的連続としての現実そのものは、そのままでは科学的に認識されることはできないのであり、我々は、それを同質的連続とするか異質的不連続となるように区切りを入れることによって、すなわち、改造することによってしか捉えられない[Rickert, 1921: 35-36]。そして、前者が自然科学的概念構成であり、後者が歴史的文化科学的概念構成であった。後者の概念構成は、異質性、すなわち、他と異なる個性に注目して、その個性を生かした概念構成を目指すものである。この場合、どうしても、個性を個性として注目する関心という意味での「価値関係」が、概念構成に不可欠であるとされる。その点で、他との共通性に注目して概念化を行う自然科学的概念構成と区別されている。
ここで、リッケルトは、前者の場合は、その価値はただその個人に対して妥当するだけであるが、科学的或いは理論的に価値を認めるということは、歴史家の個人的立場には全く関係なく、普遍的に妥当する価値に結び付けて事物に価値を認め、これを叙述することを意味し、それゆえ、その叙述はすべての人々に対して妥当すべきものである、と述べている[米田, 1922: 290]。
ヴェーバーによる価値自由(Wertfreiheit)をめぐる立場には、先に触れたように、リッケルトの中期以降の見解との関連性が見出せる。
ヴェーバーは、1917 年には、この考え方とリッケルトとの関係について、以下のように述べている。「なるほど、経験的学科の問題提起は、これはこれで『価値自由に』こたえられるべきである。それはなんら『価値問題』ではない。……『価値関係』という表現の意義について、わたしは、自分の以前の意見[発表]を、そして、とりわけ、H . リッケルトの周知の諸著作を、ひきあいにださなければならない。……『価値関係』という表現は、経験的研究の客体の選択と構成とを支配している独特に科学的な『関心』の、哲学的な解釈[解明]を意味しているにすぎない、ということがおもいだされるだけでよいであろう」と[Weber, 1917=1984: 68]。→続きを読む(頒布案内)