道徳が崩壊した、あるいは崩壊しつつある。こう聞けば、マスメディアからのさまざまな情報や日常生活での経験等を引き合いにだして、私たちの多くは納得するかもしれない。だが、こうした言説では、そもそも道徳とは何か、それがどのような具体的状況で保持されたりなおざりにされたりしてきたのかが必ずしも明らかではない。それらは世俗的な推論のレベルにとどまった議論である。にもかかわらず、それらが説得的に首肯されるのは、道徳や倫理の失効の気配が現代社会の諸現象に色濃く現れているということを意味するのであろうか。
他方で、社会ないし個人の道徳が衰微したという現実理解が、実は道徳的規範の未曽有の強化を背景にした、きわめて現代的な現象であるとする社会学的知見も主張されている。モラル・ハザードに警鐘を鳴らす世俗的見解に鋭く対立するこの冷静な社会的現実の分析は、社会の道徳化とでもいうべき潮流を考える契機を、私たちに与えてくれる。だがしかし、ここには留保が必要であろう。かつてÉデュルケムが指摘した、些細なスキャンダルが重大な過誤として糾弾される僧院社会のシステムが、現代の社会生活全般に浸潤しているという見解には、道徳なる概念の詳細な検討と、それが機能する領域の確定が加えられねばならない。その上で、社会診断学的見地からみた社会的現実理解の適否が問われるべきであろう。
しかし、現時点で、道徳をめぐる私たちの理解は、とりわけ市井の日常生活と社会学研究をあわせて営む社会学徒の道徳理解は、分断されたまま、その架橋をもちえていないようにも思われる。もちろん、安易な架橋は不要であるばかりか、むしろ有害ですらある。例えば、姿勢や歩調を意識的に整えて、より自然に歩こうという努力の介入は、その歩き方をより不自然でぎこちないものにするであろう。道徳生活を論考の俎上に載せることも、同じような結果を招くかもしれない。「すべての理論は灰色だ/生の黄金の樹こそが緑なのだ」[Goethe, 1808=1967: 135]という一節は、社会学者にとってのひとつの警句でありうる。しかし、本稿は、社会学理論によって道徳の理想と実践の諸相を分析し、社会学的現実へと接近する作業を試みようとしている。それは、「理論」と「現実」の拙速な等置を意味しない。むしろ、それは、それぞれの性質をふまえつつ、「理論」と「現実」の両者の隔たりと齟齬をこそ、丹念に拾っていく作業であると考えている。この作業によって、「理論」と「現実」のそれぞれの独自性を踏まえた、社会学的現実理解のひとつのパターンが、緑なす理論の構想として可能となるように思われる。
本稿は、まず、デュルケムから続く道徳社会学の理論の一系譜を概観したのち、第2章では世俗的言説も含めて、道徳的行為ないし不道徳な行為のパターンを、キャラクター論とフレイムに関する議論に依拠しながら記述する。その後、ふたたび、行為の道徳の社会理論にむけて、日常の相互行為状況にスコープを限定しつつ、立論する。小さな社会体系における行為の道徳を観察し、綿密な記述を行ったE.ゴフマンから学びながら、以上のような論考を展開していくことにする。
デュルケムは、道徳を「一つの行為規準体系」であると考えた。この道徳社会学の基礎的な示唆からおよそ一世紀後の現代社会においては、何が善くて何が悪いのかということを示す道徳的規準は、時代が下るにつれて状況規定性にますます依存するようになったといえよう。ある状況においてどのような行為が望ましく、また不適切なのかという指標は、とりわけ近代以降の社会においては、その都度の相互行為状況如何によって多様である。
伝統的価値規範体系にのっとって営まれる社会生活を基幹とする前近代の社会では、デュルケムに倣うならば、諸個人の思考は集合的思考に沿う。そこからの逸脱に対しては、刑罰や呪術による制裁といった社会的サンクションが下される。あからさまな違反行為のみならず、社会規範の攪乱を暗示する利害対立、諸個人の嫉妬、猜疑などといった潜在的な事象や、可視的であるとは限らない「個人的」な感情にまで介入して、集合的な裁定のメカニズムが機能する。個人に対して、社会は非常に拘束的であり、近代的な意味での自由は想定すべくもない。そのような社会においては、道徳的価値規範体系は、諸個人に対して確固たるものとして実在する。その典型が宗教であった。「通過儀礼」や民俗学でいうところの「人生儀礼」が人間の一生の折々で設定され、望ましいモデルに沿い、伝統的儀礼を実践して生きてさえいれば、諸個人は所与の社会の道徳に安住することができる。社会は牢固なまでに道徳的に統合されている。これに比べて、近代社会の道徳は、より複雑な問題である。信念や信条は高度に分化した。小さき神々の跋扈する世俗的社会において、多様な諸個人に対してかくふるまうべしと命ずることのできる集?的な道徳に、存続の可能性は残されているだろうか。いいかえるならば、近代社会において、「天蓋」は可能だろうか。トマス・ルックマンは、現象学的社会学の立場から、近代社会における道徳的コミュニケーションに関する研究を蓄積するなかで、デュルケムへ次のような問いを差し向けている。
宗教も、道徳も内的なものに転化した。大きな公共的制度における社会−構造的な故郷を失ったのち、宗教や道徳は、しばらくは個人的主観性に命脈を保っていた。宗教は、私的信念へと、道徳は、主観的意識へと形を変えた。約一世紀前、有機的連帯—デュルケムの用語法によれば、複雑な分業をともなう社会に必要な道徳的秩序—が、より単純な社会を組織した伝統的な道徳的秩序が衰退した結果生じた空白を埋めることがなければ、近代社会は危機的アノミーに陥ると考えた。その核心に道徳的秩序を持たない社会は存続することができないという信念をもって、デュルケムは、今日でいうところの市民文化や、中間的諸制度や、あるいは社会資本などに解決を求めた。[Luckmann, 2002: 24]
しかし、近代社会にあって、諸個人を統合する「集合意識」の存立は可能かどうか、そもそもデュルケムによる近代以降の道徳的連帯のモデル構想自体に問題はなかったのかと、ルックマンは批判的に問いかける。彼によれば、いかなる社会も、特殊かつ普遍的に義務的な道徳的コードの統合力なしには存在し得ないと仮定している点で、デュルケムは誤謬に陥っている。このルックマンの批判点は、ゴフマンと通底する。とはいえ、ゴフマンは、デュルケムの社会理論を補論し、現代社会分析に照準して展開するなかで独自の理論構築を行なった。それゆえ、ルックマンと問題関心を共有しつつも、ゴフマンの場合は、デュルケム批判ではなく、その理論ないし方法の発展というかたちで応えたといえる。
デュルケムは、それぞれが属する職業集団の価値規範によって統合される分業の理想的モデルや、近代的市民の育成装置である教育といった近代的社会を統括する公的ないし国家的諸制度に、近代社会の病理の超克を賭けていた。そこには、社会と個人を賦活し、再生成を可能ならしめる前近代の「神=宗教」は不在である。それに代わって、「一個の神」たる個人が相互に儀礼を交換する「人格崇拝」という新たな形態のカルトが、ばらばらの諸個人の紐帯を担保する。
前近代から近代へ、大きな神から小さな神々へと、一方では道徳的紐帯のあり方にドラスティックな変化を予想しつつも、デュルケムは、大きな「理想」をもって、あるいはあり得べき「理想」を希求して、市民社会が前進していく集合沸騰的な社会変動の力に、ある種の恒久性を読み込んでいたのではなかったか。フランス革命が社会のメンバーに刻印した革命の精神を、次世代へと継承すべくフランス共和制の教育制度構想に腐心するデュルケムは、なによりも集合的沸騰の力と、その力を恒久化する可能性を信じた。
ゴフマンは、こうしたデュルケムによる近代社会の読解を部分的に切除し、諸個人間の儀礼に焦点を当て、さらに日常へと水路づけることによって、リアルな現実分析を可能とする手法の確立へと向かったのだと考えられる。→続きを読む(頒布案内)
1981 Le Suicide (nouv.Ed.), PUF. = 1985 宮島喬訳『自殺論』中公文庫.