“精神障害者”や“犯罪”概念は、“一般人”や“犯罪でない行為”との比較によって定置されざるを得ない性質を有する点で“不確かなもの”である。その相対性や被構築性は社会学・倫理学・精神医学など様々な学問分野で論じられてきた。しかし、精神障害・犯罪概念の相対性を認めたとしても、歴史的文脈や日常的感覚を無視して過度にその相対性を強調することは、かえって議論を霧に包んでしまう危険を持つ。我々が歴史的文化的存在である以上、これらの概念の一定の“不確かさ”を了解しつつも、具体的事例において実質的議論を展開することがやはり必要なのである。本稿は、“精神障害”と“犯罪”概念がクロスする保安処分という法的概念を鍵に、罪を犯した精神障害者の法的取扱い問題を、少年法制との比較によって論じるものである。
責任主義原理の下で罪を犯した者に「責任」を問えない場合1、すなわち「刑罰」(応報的刑罰)を科すことが適当でない場合に、その者を「刑罰」を科さずに放置するか、それとも「刑罰」の代わりに他の処分をするかという問題が生じる。平野龍一の整理によれば、「少年と精神障害者とは、刑罰を加えることが適当でない犯罪者の二つの大きなグループとして、諸外国では以前から、ディヴァージョンという点である程度パラレルに考えられてきた。少年については刑罰にかえて保護処分、精神障害者には刑罰に代えて治療処分が課されるのである」[平野,1980: 280]。本稿では、罪を犯した精神障害者と罪を犯した未成年者に対する「刑罰」以外の処分を比較して議論するために、平野に従って「刑罰」の代わりの他の処分(処分しないことを含む)をディヴァージョン(diversion)2と称することにする[平野,1980: 279]。なお、ディヴァージョン概念を類型的に分類すれば、「刑罰」を科さずに放置する場合と(介入を伴わないディヴァージョン、起訴猶予・刑の執行猶予など)、「刑罰」の代わりに他の何らかの処分を課す場合(介入を伴うディヴァージョン)に分けることができる。さらに介入を伴うディヴァージョンを処分の法形式に着目して仮に整理するならば、刑事司法上の処分(いわば、刑事処分的ディヴァージョン)と、非刑事司法的な行政上の処分(いわば、行政処分的ディヴァージョン)に分けることができる。行政処分的ディヴァージョンは刑事司法と制度上明確に連関している場合(例えば、罪を犯した未成年者における少年法と児童福祉法の関係)と、制度上は直接の連関がないが事実上関連している変則的な場合(例えば、罪を犯した精神障害者における刑事法と旧精神衛生法・精神保健福祉法の関係)3が考えられる。
我が国の刑事法はとりわけ精神障害者に関しては刑罰一元制を採用しており、刑事処分的ディヴァージョンは存在しない[加藤,2002: 18-19参照]。しかし一方で、未成年者に関する刑事特別法である少年法(以下、現行の少年法を、現行少年法と呼称)は刑事処分的ディヴァージョンとして「保護処分」(現行少年法第24条)を定めている[平野,1980: 279]。罪を犯した精神障害者に対する刑事処分的ディヴァージョン導入の試みは、古くは戦前の1926(大正15)年、「刑法改正ノ綱領」にはじまる。特に1960〜70年代に保安処分導入をめぐって激しい論争が生じ、「学園紛争の動きとも絡み合いながら」[前田,2003: 229]、保安処分絶対反対という主張がいわばイデオロギー的に展開されて以来、保安処分導入をめぐる議論はタブー視されてきた。しかし、大阪池田小児童殺傷事件(2001年)等の精神障害が疑われる者による重大犯罪がマスコミで大きく取り上げられたことがひとつの契機になり、第42条に刑事処分的ディヴァージョンである「治療処分」を規定した「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律案」(以下、「触法精神障害者医療・観察法案」または「法案」と適宜略称)が国会に上程され、現在継続審議中である(本稿執筆時点)。「法案」に対しては、1960〜70年代の論争時を髣髴とさせる“保安処分の復活”“責任主義に対する挑戦”という強い反対論が展開されている4。しかし我が国において、現在、少年法や「保護処分」を廃止すべきという主張は殆ど見られない。むしろ、罪を犯した未成年者に対する「保護処分」は──とりわけ「刑罰」との対比においては──「少年の健全な育成」(現行少年法1条)のために断じて保障されるべき人道的な措置とすら考えられている。仮に、「保護処分」と「治療処分」が性質を異にするならば、この現象は驚くに値しない。しかし、後に検討するように、「保護処分」と「治療処分」は保安処分概念の中でも同質性が高いと考えられる。ではなぜ、「治療処分」のみが強い反対を受けるのか。
この問いを考えるにあたっては、1922(大正11)年の旧少年法(以下、大正少年法と呼称)の制定過程に関する検討が不可欠となる。というのも、現在では肯定的に捉えられている「保護処分」だが、我が国で最初に「保護処分」を規定した大正少年法の制定過程で、少年法案はやはり激しい反対論に遭遇しているからである。後に検討するように、大正少年法と「触法精神障害者医療・観察法案」は立案の前提となる法的状況を共にし、提出された法案に対する反対論の論理も共通している。つまり歴史的に見た場合、今日、「触法精神障害者医療・観察法案」をめぐって、かつての大正少年法をめぐる議論の構図が再現されているのである。
西原春夫によれば、少年法の「保護処分」は「一種の保安処分」である[西原,1972: 5]。また安平政吉は、「従来、『少年犯処遇に於て行使され発達し来った刑政上の指導原理』を成年犯に対しても適用」することが「保安処分」導入の刑事政策的意義だとしている[安平,1936: 41]。つまり「保護処分」は「治療処分」のいわば先行事例に他ならない5。では「保護処分」「治療処分」の法形式である保安処分とは何か。
保安処分は「刑罰」の特別予防機能(対象者に再び違法行為を犯させない)の補充を主たる目的にした介入を伴う刑事処分的ディヴァージョンであり6、罪を犯した者の「保護」(再社会化=「治療」「教育」)または社会からの隔離による、社会秩序の確保(「保安」)を意図している7.... →続きを読む(頒布案内)