2002年6月30日、日本の新聞各紙は、社団法人日本精神神経学会(以下、「学会」と略す)が29日に開かれた臨時評議員会において精神疾患のひとつである精神分裂病(以下、「分裂病」と略す)について「統合失調症」という名称に変更することを正式に決めたことを報じた。
この動きは、すでに1990年代の前半より始まっていた[金,2002b]。1993年に精神病患者の家族会組織である全国精神障害者家族会連合会(全家連)が、人格を否定する響きをもつ呼称を変えて欲しいということで「病名変更を求める意見書」を学会に提出。これを受けて学会は、「概念と用語に関する委員会」内に「精神分裂病の呼称を検討する小委員会」を1995年に発足させて、分裂病の訳語の歴史の検討2や、教科書やマスコミで使われている「精神分裂病」に関する情報の検討を行うとともに、評議員150 名を対象としてアンケート調査を行った3。その後、数年間の議論を経て、2000年5月に学会は呼称を変更することを正式決定し、新しい呼称の検討に入った。その結果検討されたのは、[1] 原語(ラテン語)の読みをカタカナ表記した「スキゾフレニア」、[2] 疾病概念と診断の確立に功績のあった人物に因んだ「クレペリン・ブロイラー症候群」、[3] 原語を翻訳し直した「統合失調症」の3つであった。2001年の後半になると全家連は学会と連名で分裂病の呼称変更についての一般市民への意見公募[全家連,2001b]を行ったり、学会が公聴会を行ったりと、この動きは活発化した。そして、2001年1月末に学会理事会は、新呼称を「統合失調症」にすることを決定する。そして、2002年8月下旬の世界精神医学会横浜大会とあわせて開催された学会総会において正式に決議されたのであった。
この分裂病の呼称の変更において、次のような理由が説明される[金,2002b]。第1に、「『精神分裂病』の病名が病態を正確に表していない」こと4。第2に、ブロイラーが命名[Bleuler, 1911=1974]した「シゾフレニア群 Schizophrenien」の訳語として定着した「精神分裂」という用語は、「偏見や誤解が強いため診療の現場や社会生活で支障が生じている」こと。第3に「患者や家族から呼称変更の希望が多いこと」。このように、分裂病という呼称は、この精神病についての精神医学上の見解と、この呼称でもってラベリングされカテゴリー化されてきた(それによってスティグマとなってきた)精神障害者の「人権」への配慮の両面において否定されることになったのである。
しかしながら、この分裂病の呼称変更は、単に精神医学上の精神病概念をめぐることがらや精神障害者の差別問題にとどまらない、精神医学とそれをとりまく知的構造の転換を象徴しているように思われる。それは、この呼称変更において突然に起こったものではなく、20世紀の中葉から後半にかけての世界的な〈知〉の動きや流れのなかで考えなければならない。本稿ではこのことについて、第1に分裂病概念の歴史—ブロイラーによる分裂病の命名は、クレペリンの早発痴呆概念がもっていた「精神荒廃」という帰結を括弧に入れたものであること、第2に分裂病が「正」の価値をもった時代— 1960 〜 70年代の精神医学とそれをとりまく思想的状況は、精神病者の解放と「人間」という枠への拘束との両極の値を伴っていたこと、第3に1980年代以降の状況—分裂病者を「人間」から解放することにおいていままさに行われようとしていることが、精神障害者のわれわれの世界からの分化−排除であること、を論じていくことにしたい。
分裂病の新呼称候補にあったように、分裂病の疾病区分と概念成立において名前が挙がるのはドイツの精神科医クレペリン(Emil Kraepelin 1856 〜 1926)とスイスの精神科医ブロイラー(Eugen Bleuler 1857 〜 1939)である。クレペリンは、自らの『精神医学教科書』第4版(1893年)において早発痴呆(Dementia praecox)という概念を使い始め、第5版(1896年)において疾患単位として概念規定を行う。さらに、第6版(1899年)では、破瓜病、緊張病、妄想性痴呆の3つの亜型をあわせて、この概念を再構成する。「早発痴呆」は、主として思春期に発症し急速に痴呆へと至る精神病に1856年にフランスの精神科医モレル(Bénédict Augustin Morel 1809 〜 1873)がこの名前をつけたのが最初であるといわれるが、クレペリンのこの概念もまた若年期に発症して早晩に精神荒廃へ至るという不可逆な道程が組み込まれた概念となっていた5。
こうした精神病を考えるとき、われわれが注意を払わなければならないのは、病が観念としての性質をもっていることである。「患者の訴える主観的な症状と患者に認められる客観的な徴候のうちから、いくつかを選び出してひとまとまりの像を造り、それに名を与えたものが○○病に過ぎない」[大平,1996:32]。クレペリンに代表される19世紀後半の精神医学が、疾病区分の確立に力を注いでいたとき、精神病といわれるものの中で、ある精神疾患をそこに見いだすとすれば、そこにそうした精神疾患が現実に存在していることを信頼しなければならない。精神医学は、精神疾患の実存を先取りにし、そこに必然的に精神疾患を見いだす科学となる。だから、そのような精神病が実際に存在するかどうかということの傍らにおいて、そこにそうした精神病があるという思いがそれを精神病として構成する発端とならなければならない6。しかし、精神を対象とする医学は、西欧の近代医学が生理的・身体的なものに志向していくにしたがって、まさに対象が観念と密接にかかわるがゆえに、そこに観念のみにおいて構成される無限の領野を生み出してしまい、精神医学を近代医学の中で「宙づり」にしてきたのではなかったか7。
大平健は分裂病概念のもととなったクレペリンの早発痴呆概念について、「一九世紀末にはあれほど異なっていて、クレペリンの出るまでは別々の病気だとさえ思われてきたものが、時の経過とともに、クレペリンが言っていたようにひとつの病気になってきたということではないのか」[大平,1996: 23]と言う。大平は、クレペリンの早発痴呆概念を、「現実が観念のまねをしたとしか言いようがない」[大平,1996: 23]と言うのである。
こうしたクレペリンの早発痴呆概念に対して、ブロイラーは、必ずしも若年期にのみ発症するものとは限らず、また常に精神荒廃に至るとは限らないという臨床上の「事実」から、この名前に対して出てきていた批判に注目することになる。ブロイラーは、こうした状況をふまえて、「早発痴呆患者」に共通してみられる精神症状を、連想機能の乱れ、曖昧な思考の道筋、自閉(引きこもり)、両価的感情といった基本症状からなる心理学的特徴にまとめることになる[Bleuler, 1911=1974]。「精神分裂病群(Schizophrenien)」という名称は、こうしたクレペリンの早発痴呆の概念から精神荒廃という帰結を後退させたところから、ブロイラーによって名づけられたものである。だから、ブロイラーによるこの名称の変更は、最終的な精神荒廃という帰結を括弧にいれることによって、分裂病の治療可能性を精神医学上の疾患概念において先取りしていたとみることもできるのである[周藤,1997: 188]。
しかし、分裂病が治療可能なものとして捉えられるようになるその過程において、分裂病概念は大きく変質していったと考えられるのだ。ブロイラーにおいて、「人格の解離」でも「自我の分裂」でもない精神機能の断片化というただの非統一をみていたにすぎない分裂病の「分裂」概念は、意味を帯びて立ち現れるようになる。それを行ったのがジークムント・フロイトを創始者とする精神分析の系譜である。フロイトは、「一片の現実から逃れるために自我がエスによって引きさかれている」[Frued, 1927=1969: 394]として、精神病者の現実との断絶、現実否認を述べていた。このように、分裂病の「分裂」概念は、分裂病者の自我の方へと転位しているのである。
だが、このことは、フロイトにおいては、分裂病の治療可能性とは結びついてはいない。フロイトにおける分裂病者に対する精神分析療法の適用は、初期の楽観視からしだいに悲観へと転じていった。フロイトにおいて一旦は諦められた分裂病者に対する精神分析療法が再び取り組まれるようになったのは、1930年代ごろからのことである。→続きを読む(頒布案内)