社会科学基礎論研究会年報社会科学基礎論研究第2号
連載[社会学の現在2]社会構成主義と現象学

社会学におけるナラティヴ・アプローチの可能性──構築される「私」と「私たち」の分析のために──

菊池裕生・大谷栄一
    はじめに
1.近年の日本社会学におけるナラティヴ・アプローチの位置
(1) 質的研究の再評価と社会構築主義
(2) ナラティヴ・アプローチとはなにか?
2.物語による「私」の構築とその分析
(1) 「私」と経験
(2) 「私」の経験の記述
3.物語による「私たち」の構築とその分析
(1) 「私たち」と経験
(2) 「私たち」の経験の記述
4.今後の課題と展望
キーワード:
ナラティヴ・アプローチ 社会構築主義 質的研究 宗教研究 物語 物語行為 経験 相互行為 社会運動研究 フレーミング
書誌情報:
『年報社会科学基礎論研究』第2号(2003)、ハーベスト社、pp.167-183

はじめに

 本稿の課題は、経験的研究における1つの有用な視点、方法論として、ナラティヴ・アプローチ(narrative approach)について検討することである。特にここでは、(スピリチュアリティを含む広義の)宗教現象を考察の対象として取り上げるが、だからといって、その射程は宗教研究にとどまるものではない。より広く、個人と集団の「経験」(experience)を問うという視点から、社会学における経験的研究にナラティヴ・アプローチを適用する可能性を論じていくことを目的とする。

1.近年の日本社会学におけるナラティヴ・アプローチの位置

(1) 質的研究の再評価と社会構築主義

 特に1990年代以降、質的研究(qualitative research)に関する欧米圏の社会学関係の著作が次々と翻訳されており、また並行して、日本の研究者による著作も数多く出版されている1。こうした流れの背景には様々な要因が考えられるが、おそらく何か1つの決定的な事態が社会学に起こった、ということではない。だが、近年の社会構築主義social constructionism、以下「構築主義」)の隆盛に伴い、研究者の目があらためて質的研究に対して向けられた、という側面は指摘しておいてよい。
 構築主義は、J. キツセと M. スペクターの『社会問題の構築』[Kitsuse & Spector, 1977=1990]の翻訳を契機とする「社会問題の構築主義」に関する研究書や、家族療法に関する研究書の出版[White & Epston, 1990=1992; 野口,1996]を経て、徐々にわが国の社会学界に浸透していった[cf. 中河,1999]。この構築主義の核心を一言で言い表すのは容易ではない。ただ、言語(およびその使用)を媒介として営まれる相互行為(とその過程)によって、社会的現実や意味が構築されると考える点は共有されていると言うことができる[cf. Burr, 1995=1997]
 構築主義の隆盛によって、現在、言語(およびその使用)と相互行為への着目があらためて高まっており、そこには(もともと構築主義が志向していた)社会学上の方法論の再検討を促す機運もはたらいている。より具体的には、人々の意味構築的な語りを、いかに記述し、分析していくのか、という点がクローズアップされた。だからこそ、多くの質的研究のための方法論の再検討が行われてきているのだ。
 ナラティヴ・アプローチは以上のような学史的動向の下に位置づけることができ、上記の問題意識に応え、経験的研究における1つの有用な視点、方法論を提供するものである、とわれわれは考える2

(2) ナラティヴ・アプローチとはなにか?

 そもそも物語(narrative)とは、始点、中間点、終点を持ち、それが1つの筋によって貫かれている言葉の集合体のことである[Barthes, 1961-71=1979; Ricoeur, 1983-85=1987-90]。具体的には、 意味するものシニフィアン・言表・物語のテクストそれ自体(「物語言説」)意味されるものシニフィエ、すなわち物語の内容(「物語内容」)および物語を生産する行為(「語り」)の分析を目指すのが、いわゆる物語論(narratology)の目的となる3[Genette, 1972=1985]。さらに、物語論をより広く捉えようとするならば、テクストを読解するという読書行為論的視点を強調しておかねばならない[Iser, 1976=1982; Jauss, 1987=2001; Ricoeur, 1983-85=1987-90]
 本稿は、こうした物語論の中でもとりわけその行為的側面(物語行為、および読書行為)へと着目し、その経験的場における適用を志向するがゆえに、「ナラティヴ・アプローチ」の語を用いている。相互行為の中で、物語を語る、および物語を読解する、という行為によって意味(現実)(再)構成される、という側面をとりわけ重視したいと考える4
 前節で、質的調査の重要性が再検討されつつある動向を概観したが、では、なぜナラティヴへの着目が必要なのか。以下にその主な理由を示す。
 まず第1に、われわれは、物語るという行為、すなわち物語行為によって、物事の意味を理解することができる、という点である。逆に言えば、物語られない物事は、「私」および集団にとって意味を持たないとさえいえる(野口裕二はこれを「現実組織化作用」と呼ぶ[野口,2002: 44])。詳しくはすぐあとに述べるように、「私」および「私たち」にとって意味をもつあらゆる「経験」は、物語行為をもってして構成されうると言える。だからこそ、経験に照準するわれわれにとって、ナラティヴに対する着目が重要となる。
 第2に、観察者が、第三者たる調査対象者が抱く現実や経験を知ろうとする場合、それは、インフォーマントのナラティヴを通して知ることができる、という点である。第三者の経験を知るためには、何らかの形で観察者は、インフォーマントのナラティヴに耳を傾け、理解しようとするのである。
 第3に、物語を分析するということは、インフォーマントがおかれているより広範な文脈を理解することになる、という点である。「私」や「私たち」の語る物語は、決して真空状態から生まれてくるものではない。それは、常に既存の物語のもつ形式を模倣することによって成り立っている(野口はこれを「現実制約作用」と呼ぶ[ibid.])。つまりナラティヴは、より広範な社会的文脈に常に影響を受けている。だから、個人および集団のナラティヴを分析することは、彼・彼女らを取り巻く広範な文脈(文化、慣習、宗教など)を理解しようとすることにもなるのだ。

2.物語による「私」の構築とその分析

 本章では、とりわけ「私」の経験の分析に焦点を当てる。まずは、経験とはなにかを考えることからはじめよう。

(1) 「私」と経験

 本稿では「体験」ではなく、「経験」を分析の対象とする。まずは、体験と経験とにはどのような差異があるかを述べなくてはなるまい。
 宗教経験の分析にナラティヴ・アプローチを適用することを主張している D. ヤマネは、V. ターナー(および W. デュルタイ)の議論を踏まえながら、経験を experiencingexperience に峻別する。前者は、個人の視点からの不断の時間的流れであるために、直接的な研究対象とはなりえないのに対し、後者は、「間主観的に分節されるもの」であるがゆえに、研究の対象となりうるという[Yamane, 2000: 174]。本稿では、前者を「体験」、後者を「経験」と呼ぶこととする。インフォーマントが、過去のある時点で体験した出来事を、リアルタイムに知ることは第三者たるわれわれには原理的にできない。たとえそれが、インタビューといういまここで起こっていることであったとしても、観察者が聞き取れるのは、常に事後的に語られる何かであるほかはない。そして、その「何か」とは、経験であり物語である.... →続きを読む(頒布案内)

↑頁先頭

  1. 最近、翻訳された[Flick, 1995=2002]には欧米圏の文献が詳細に紹介されているが、さらに訳者たちによって「日本語で読める質的研究の文献」が網羅的に紹介されており、近年の出版状況を確認することができる。また、訳者代表の小田博志の「解説」には、「日本の質的研究の歴史」がまとめられている。[→戻る
  2. 本稿では、構築主義とナラティヴ・アプローチを緩やかに接続するものと捉えているが、その差異を重視する立場もある。浅野智彦は、構築主義では無視されざるを得ない、「私」を構成するところの「自己を語る自己」をめぐるパラドクス(自己言及のパラドクス)に光を当てるという点で、物語論的なアプローチの有用性がある、と主張する[浅野, 2001]。これは、なぜ「言説」ではなく「物語」なのかというナラティヴ・アプローチの根幹に関わる指摘であり、極めて重要だ。本稿で詳しく立ち入ることはできないが、ここでは、経験的研究における "つかえる" 方法論の提示を目指すという点から、ナラティヴという形式をもって構築される「私」や「私たち」、および、そうした「私」や「私たち」が第三者たる観察者に理解可能となる上で不可欠な形式としてナラティヴが重要だ、という立場に立つ。[→戻る
  3. ジュネットはこれら3つの要素の弁証法的な考察を物語の分析と位置づけている[Genette, 1972=1985]。[→戻る
  4. 野口裕二も指摘するように、元来 narrative という語には「物語」と「語り」という2つの側面がある[野口,2002: 20-21]。だからこそ、単に物語分析ではなく、ナラティヴの分析、と言わねばならないのである。[→戻る

文献

浅野智彦
2001 『自己への物語論的接近』勁草書房.
Barthes, R.
1961-71 Introduction á L'Analyse Structurale des Recits, Seuil.=1979 花輪光訳『物語の構造分析』みすず書房.
Benford, R. D.
1997 "An Insiders Critique of Social Movement, " Sociological Inquiry 67-4, pp.409-430.
2002 "Controlling Narrative and Narratives as Control within Social movement, " in [Davis(ed.), 2002], pp.53-75.
Benford, R. D. & D. A. Snow
2000 "Framing Process and Social Movements, " Annual Review of Sociology 26, pp.611-639.
Bruner, J. S.
1986 Actual Minds, Possible Worlds, Harvard University Press.=1998 田中一彦訳『可能世界の心理』みすず書房.
Burr, V.
1995 An Introduction to Social Constructionism, Rouledge.=1997 田中一彦訳『社会的構築主義への招待』川島書店.
Davis, J. E.
2002 "Narrative and Social Movements," in [Davis(ed.), 2002], pp.3-29.
Davis, J. E. (ed.)
2002 Stories of Change, State University of New York Press.
Flick, U.
1995 Qualitative Forschung, Ronwohlt Taschenbuch Verlag GmbH.=2002 小田博志・山本則子・春日常・宮地尚子訳『質的研究入門』春秋社.
Genette, G.
1972 Discours du récit in Figures III, Seuil.=1985 花輪光・和泉涼一訳『物語のディスクール』水声社.
Hunt, S. A., R. D. Benford & D. A. Snow
1994 "Identity fields," in Larna, E., H. Johnston and J. R. Gusfield, New Social Movements, Temple University Press, pp.185-208.
Iser, W.
1976 Der Akt des Lesens,Theorie aesthetischer Wirkung, Munich; Wilhelm Fink.=1982 轡田収訳『行為としての読書』岩波書店.
Jauss, R. H.
1987 Die Theorie der Rezeption, Konstanzer Universitätsreden., Konstanzer Universitätsreden. = 轡田収訳『挑発としての文学史』岩波現代文庫
Johnson, H. & B. Klandermans (eds.)
1995 Social Movements and Culture, University of Minnesota Press.
菊池裕生
2000 「物語られる「私」(self)と体験談の分析」, 大谷・川又俊則・菊池編著『構築される信念』ハーベスト社35-55.
Kitsuse, J. I. & M. Spector
1977 Constructing Social Problems, Cummings.=1990 村上直之・中河伸俊・鮎川潤・森俊太訳『社会問題の構築』マルジュ社.
中河伸俊
1999 『社会問題の社会学』世界思想社.
野口裕二
1996 『アルコホリズムの社会学』日本評論社.
2002 『物語としてのケア』医学書院.
野宮大志郎編
2002 『社会運動と文化』ミネルヴァ書房.
荻野達史
1998 「集合行為フレームと共鳴性分析」, 『社会学論考』17, 日本社会学会 73-98.
大谷栄一
1999 「宗教運動の社会心理学」,『白山人類学』5, 白山人類学会, 5-29.
2002 「つながりに気づき、つながりを築く」, 樫尾直樹編『スピリチュアリティを生きる』せりか書房, 120-136.
Riessman, C. A.
1993 Narrative Analysis, SAGE.
Ricoeur, P.
1983-85 Temps et Récit Tome Temps I - III, Seuil.=1987-90 久米博訳『時間と物語 I・II・III』新曜社.
桜井厚
2002 『インタビューの社会学』せりか書房.
Snow, D. A. & R. D. Benford
1988 "Ideology, Frame Resonance, and Participant Mobilization," in Klandermans, B., and S. Tarrow (eds.)International Social Movement Research, JAI Press, pp.197-217.
1992 "Master Frames and Cycles of Protest," in Morris, A. D. and C. M. Mueller, Frontiers in Social Movement Theory, Yale University Press, pp.135-155.
Snow, D. A. & D. McAdam
2000 "Identity Work Processes in the Context of Social Movements," in Stryker, S., Owens, T. J. and R. W. White (eds.) Self, Identity, and Social Movements, University of Minnesota Press, pp.41-67.
Snow, D. A. & P. E. Oliver
1995 "Social Movements and Collective Behavior," in Cook, K. S., Fine, G. A. and J. S. House (eds.), Sociological Perspective on Social Psychology, Allyn and Bacon, pp.571-599.
White, M. & D. Epston
1990 Narrative Means to Therapeutic Ends, Norton.=1992 小森康永訳『物語としての家族』金剛出版.
Yamane, D.
2000 "Narrative and Religious Experience," Sociology of Religion 61-2, pp.171-189.
↑頁先頭←第2号目次→執筆者紹介→続きを読む(頒布案内)
↑頁先頭社会科学基礎論研究会ホーム『年報 社会科学基礎論』ホームこのサイトについて『年報』頒布のご案内