近年、社会調査に関する著作が多数出版されている。このこと自体は、第二次世界大戦前ならともかく、現在的にみてさほど注目すべきことではない。周知のように、戦後の早い段階で目指された「社会研究の方法としての社会調査法」[福武, 1958: 9]はすでに著しい進展をみせて久しい。それが現在である。だが、近年に特徴的なのは、「フィールドワーク」「インタビュー」「ライフヒストリー」などに焦点を置いた、質的調査に関する著作が相次いで出版されていることである。今年に出版されたものだけをみても、たとえば、桜井厚『インタビューの社会学』(せりか書房)、佐藤郁哉『フィールドワークの技法』(新曜社)、川又俊則『ライフヒストリー研究の基礎』(創風社)などがあげられる。
周知のように、戦後日本の社会学において、社会調査の基本理解を決定づけたのは冒頭にも引用した福武直[福武, 1958]であった。彼はそこで、社会調査の研究方法を「統計的方法」と「事例研究法」とに二分し、前者を〈エクステンシヴでフォーマルな客観的妥当性をもつ方法〉、後者を〈インテンシヴでインフォーマルな主観的方法〉とした。福武は、これらの研究方法にもとづく調査をそれぞれ、「統計調査」と「実態調査」と呼んだ。現在ではこの2つは統計調査・事例調査あるいは量的調査・質的調査といった対比的な名称で呼ばれることが通例となったとはいえ、この二分法的な社会調査把握はいまもって健在である。そして、何よりも重要なのは、社会調査の世界においてこの二分法的な類型はそれらの方法の格づけでもあったことである。端的にいえば、参与観察や聞き取りなどを現地調査の方法とする質的調査は、質問紙法を典型とする量的調査より一段と劣ったものと見なされてきた。このような戦後の日本社会学における基本的な趨勢のなかで、近年の質的調査に関する出版物の活況は、瞠目すべき事態だといっても過言ではないだろう。
ところで、かつて私たちは「統計的社会調査法は客観的であるか」と問うた。「『理論に導かれ』『明示化され、標準化された方法』によって行なわれるはずの統計的方法は、じつは、〈インフォーマルで主観的な方法〉という支柱を必要不可欠にしている」[井出・張江, 198: 217]。これが、その問いへの否定的な答えである。その際に、残された課題として「社会調査における〈インフォーマルで主観的な方法〉を吟味し、それを方法として彫塑すること」[ ibid.220]をあげた。こうした課題を掲げた私たちにとって、質的な社会調査を主題とした著作の出版は、それが多かれ少なかれ質的な調査を対象化する試みを含むものであれば、まさに歓迎すべきことである。いい換えれば、私たちはそれらの著作をとおして質的調査でじっさいに行なわれている事態を方法として対象化的に仔細に検討することができるはずである。むろん、それは、統計的方法・量的調査の遂行に必要不可欠な隠された基盤を正当に評価することにも帰結するはずである。
このような観点から、近年の質的調査に関する著作のなかから、本稿では上記の桜井の近著をとりあげてみよう。桜井は、高齢女性や被差別部落で調査研究を継続的に行なうと同時に、A.シュッツの『現象学的社会学の応用』(御茶の水書房、1980)やW.I.トーマス・F.ズナニエツキの『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』(御茶の水書房、1983)を早くに訳出しており、方法論的な研究にも精力を傾けてきた。そうした著者がインタビューの単なる技法にとどまらず、自らの「フィールドワーク経験やインタビューの場で感じた実感や思い」[10]をふまえて「認識論的な枠組みの議論」[11]に十分な紙幅を割きながら、調査過程について執筆したのが本書である。→続きを読む(頒布案内)