筆者は、昨年執筆した修士論文において、インタビュー調査を行った。そのインタビュー調査の目的は、従来の規範的パラダイムに立った入信・回心研究において、一回起的現象として、また貧・病・争のような外的要因によるものとして研究されていた個人の入信過程、あるいは宗教教団全体の傾向として数量的に分析されていた入信過程を、主体的行為者としての個人による意味付与に焦点を向け、さらにそれを長期的プロセスとして捉え直そうとしたものである。
方法としては、ある宗教教団の信者にインタビューを試み、その信者がこれまでの人生において経験してきた社会的世界についての語りを、時間的流れに即して、ライフヒストリーに編纂し、それによって信者がその教団を信じるに値すると確信するに至った過程を明らかにしようとした。そしてこのライフヒストリーでは、1人の信者が宗教集団へと入信していく過程を、信者の「世界変容」の過程として明らかにし、「世界変容」する1人の信者の苦悩と葛藤をリアルに表現したつもりである。
この調査で用いたインタビューは、ライフヒストリーインタビューといわれ、一般的に「調査者の枠組みではなく語り手の個人の主観的現実のあり方を探る方法」であるために、「聞き手が語り手の発話を阻害しないように、あるいは語りの文脈を乱さないように配慮」しながら自由な会話を行うものである。(桜井,1992:47頁)
しかし、筆者は上記の説明のように「自由な会話」を目指してインタビューを行った結果、数回あるインタビューの最後に、ある違和感を覚えた。それはインタビュイーがインタビュアーである筆者を信仰者と捉えるようになったということである。当初、筆者はその宗教教団にインタビュアーとして入っていった。それはインタビュイーも同様に認識していたはずである。しかし、最終日にはそれがインタビュアーではなく、信仰者へと変容する。
これは一体何を表しているのか。インタビュアーから信仰者への変容はどのように起こったのだろうか。この変容を捉えるために、本報告ではE.ゴフマンの「状況の定義」を用いる。なぜなら、ライフヒストリーインタビューに関わらず、インタビュー調査は対面的相互行為であり、またインタビューという状況を定義した、焦点の定まった相互行為であると考えるからである。
そしてこの「状況の定義」の変容をいくつかの会話を事例にしつつ、その変容過程を探り、調査の場では分からなかったことを、現段階において自己反省的に捉え直し、それを今後のライフヒストリーインタビューに生かすことが本報告の目的である。