高校進学の動機をめぐる社会的世界の構造分析   [Microsoft Wordファイル:60kb]

森重拓三(立命館大学大学院)

≪項目≫

0.はじめに
対象の定義:自然的態度の構成現象学
1.高校進学をめぐる社会的世界の構造分析
概念装置の整理:動機の理論、社会的世界の構造分析
2.高校進学の現象
意味構成の対象:高校進学の社会現象
3.高校進学の意味構成
意味構成の分析:
   他者の客観的意味理解から経過の類型の構成へ
   他者の主観的意味理解から人格の理念型の構成へ
4.むすび
進学の意味構成における社会と個人

0.はじめに

現代の中学生に高校へ進学する理由を訊ねると、「考えたことがない・ただ行こうと思っている」「みんな行く・あたりまえ」など、そんなこと考えたことも無かったし、そんなあたり前のことをなぜわざわざ考えなければならないのか、という怒りと困惑を含んだ反応が返ってくる。彼らにとって高校進学とは自明のことなのである。それでも進学の意味を考えてもらうと、今度は必ずといっていいほど「なりたいもののため・就職のため」など、将来、自分自身のためになる、と答える。高校進学を、進路の問題、大げさに言えば彼ら自身の生き方に関わる問題としてみるならば、その意味が問われないのは「生きる意味への問い」が立てられていないという意味で問題であるし、また、考えられた回答が他者と同じであるのは認識の上で個性を喪失しているという意味で問題であると言えよう。そこで、あらためて中学生が進学の意味を思考しなくなる過程、および同一の意味が構成される過程を考察し、こうした態度の背景となる社会的な高校進学の捉え方を浮かび上がらせてみたい。

ところで、この問題を考察するにあたりA.シュッツの「自然的態度の構成現象学」に依拠する。A.シュッツによると、社会的現実とは「日常生活を営む私たちの常識的な概念を通して経験される、社会−文化的世界内の諸々の対象と出来事の総体」(Schutz1962:53)であり、また「私たちの誰もがそこに生み入れられ、そのなかで自分の相対的な位置を見出して対処していくような、諸々の文化対象と社会制度からなる世界」(Schutz1962:53)である。そして「私たちは、はじめからこの世界を相互主観的で所与の世界として経験している」(Schutz1962:53)のである。そこで社会科学の目標はこの社会的現実について組織化された知識を獲得することになるのだが、それは常識的な概念によって構成されている社会的現実を、もう一度、科学的な概念によって構成するという「二次的な」構成過程となる(Schutz1962:6/1932:6〜7)。

このような認識論的視座に依拠する理由として次の点が挙げられる。第一に、日常生活における人々が「常識的な概念から構成し経験する世界」を対象とすることで、中学生の高校進学に対する意識の全ての領域を実在として考察の対象とすることができる。今回対象となる進学塾の中学三年生の作文には、多くの場合、進学の意味だけでなく、その結論に行き着くまでの解釈の過程が記されており、この意識の過程こそが進学の意味構成の問題を解く鍵となるのである。第二に、日常生活における人々は社会的現実を「所与として経験している」とすることで、中学生が高校進学の社会的現実を所与として解釈していく過程をとらえることが出来る。そして、その過程における彼らの「解釈の仕方」に注目することで、高校進学の意味構成における社会的な規制と、これに対する個人的な創造の可能性を考察する。

1.高校進学の社会的世界の構造分析

A.シュッツの「自然的態度の構成現象学」から高校進学をめぐる中学生の主観的意味構成をとらえるために、人々が常識的に社会的世界を解釈し意味構成する意識の基本構造を整理しておきたい。日常生活に生きる私たちは、「今、ここ」にいる自分を世界の中心に位置づけ、自分の生に関わるものを選択することで世界を構成して生きている。そこで初めに私たちの対象の捉え方が問題となるが、これは私たちがある対象との間に取り結ぶ「関連性」(レリヴァンス)の問題として整理される。「私」がある対象と関連性を持つ最初のきっかけには自己内的な場合(内在的関連性:Schutz1970:33)と自己外的な場合(附加的関連性:Schutz1970:28)があり、また「私」がその対象と取り結ぶ関連性の段階には、対象を意識の地平に昇らせる「主題的関連性」(Schutz1970:26)、主題化された対象を「経験の貯え」から判断する「解釈的関連性」(Schutz1970:36)、判断された対象について行動のあり方が決められる「動機的関連性」(Schutz1970:46)がある。

中学生の高校進学という対象に対する意識もこの「関連性」の構造から構成されることになるのだが、その際、彼らは自分自身の進学動機や、進学をめぐる他者との交流や、進学の制度的現実など、時空間を超えた領域をその「まなざし」に捉えていく。そこで、それぞれを捉える諸概念を整理しておきたい。

1-1.進学の動機

ある行為の主観的意味(動機)は、自我の持続経過としての体験(行為)が、自我自身の反省的回帰により構成された体験としてその「まなざし」のなかに捉えられることで生まれる(Schutz1932:73)。このとき未来にまなざしを向けて想像される「成果の行為」が現在経過中の行為と動機的関連性(目的の関連性)があるとされるとき、その想像される未来の状態は「目的動機」(Schutz1932:94〜95)とされ、過去にまなざしを向けて目的動機そのものの構成と動機的関連性(理由の関連性)があるとされる体験は「真の理由動機」(Schutz1932:100)とされる(Schutz1970:47〜48)。中学生に高校進学と動機的関連性があると表現されるものは、この2つの概念から整理される。

1-2.進学をめぐる他者理解

「私」が自己の持続ではなく「他者」を解釈対象に据えるとき、それは私の解釈作用と同一の体験流ではないゆえに(Schutz1932:116)、初め他者の「身体的な動き」それ自体を解釈し(客観的意味理解)、次に他者がその行動に付与する「意味」を解釈する(主観的意味理解)という段階を経ることになる(Schutz1932:149〜153)。この他者理解は解釈者である私の手元にある「経験の貯え」をもとにおこなわれるため、「他者の意味措定」とそれに対する「私の意味解釈」という二重の意味的な条件依存性のもとにある。

ところで私は社会的世界を、知覚される領域「直接世界」(Schutz1938:181)、知覚されないその周辺領域「同時世界」(Schutz1932:197)、経過し去った過去の領域「前世界」(Schutz1932:236)、これから起きると想定される未来の領域「後世界」(Schutz1932:246)に、遠近法的に分節化して認識している。他者理解のあり方は、これらのどの領域の他者が対象となるかによって異なるが、私に知覚される「直接世界」の他者が対象となる場合、私とその他者は互いに持続の変化を確認し合うことが可能なので、客観的意味理解、主観的意味理解ともに内容の充実したものとなる(Schutz1932:187〜188)。そこで中学生達が高校進学をめぐり具体的な他者を参照する様子は、彼らの「直接世界における他者理解」という点から整理することができる。

1-3.進学をめぐる理念型の構成

高校進学の現実は、中学生にとって「みえないけれど確実に存在する」と意識される領域、つまり彼らに知覚されない領域の「同時世界」にあると認識される。「同時世界」の他者行動が理解の対象となるとき、私は他者のそのつどの変化を確認できないため、他者のある一時点における情報を認知の総合(解釈作用の総合)から一定不変なものと措定して類型化し、他者の客観的意味理解では「経過の類型」を、主観的意味理解では「人格の理念型」を構成して理解することになる。(Schutz1932:206〜207)。これらの理念型による「同時世界」の捉え方には、経過の類型から人格の理念型を問う場合と、人格の理念型から経過の類型を問う場合の2つの方向がある(Schutz1932:211〜212)「人格の理念型」はさらに匿名性が低く内容充実性が高い「性格学的」理念型(Schutz1932:223)と、匿名性が高く内容充実性が低い「社会集合体」の理念型に分類される(Schutz1932:225)。そして「同時世界」の他者行動を理念型から一義的に理解することで制度的現実を観取するのである。そこで、中学生が進学の制度的現実を認識する様子は、彼らの「理念型構成をもとにした同時世界(前世界、後世界)の理解による制度的現実の観取」という点から捉えることができる。

以上の概念装置を手掛かりに、中学生達が進学の意味を解釈し構成する過程を考察する。

2.高校進学の現象

作文の考察に移る前に、今回、中学生の意味構成の対象となる、1990年代の高校進学に関する社会的現実(現象)を1990、1995、2000年の5年間隔で確認しておく。

中学校卒業者は各年順に198万1503人、162万2198人、146万4760人で、そのうち高等学校等進学者はそれぞれ188万4183人(95.1%)、156万8266人(96.7%)、142万715人(97.0%)(カッコ内は卒業者数に対する割合)となっており、中学卒業後95%以上の者が高校へ進学している(文部省2000;54〜55頁)。一方、中学校卒業者に対する企業からの求人は、それぞれ9万1621人(2.98)、3万368人(2.40)、7798人(1.32)(カッコ内は求人倍率)と激減しており(厚生労働省2002;62頁)、就職者も各年5万4822人(2.8%)、2万4994人(1.5%)、1万4903人(1.0%)に減少、そこで進学も就職もしない無業者が1万6940人(0.8%)、1万4751人(0.9%)、2万101人(1.3%)と徐々に増加しつつある(文部省2000;54〜55頁)。

また高等学校等卒業者は各年順に176万6917人、159万720人、132万8902人で、そのうち大学等進学者はそれぞれ53万9953人(30.6%)、59万7986人(37.6%)、59万9747人(45.1%)と増加している(文部省2000;64〜65頁)。高等学校等卒業者に対する企業からの求人数は各年134万2898人(2.57)、64万2613人(1.94)、27万1667人(1.35)(カッコ内は求人倍率)と激減しており(厚生労働省2002;62頁)、就職者も各年60万7737人(35.2)、39万5796人(25.6)、24万1703人(18.6)と大幅に減少。そして無業者がそれぞれ9万1415人(5.1)、11万2510人(7.0)、13万2456人(9.9)と増加している。 

3.高校進学の意味構成

1994年から毎年、大阪府下の進学塾で学習活動をおこなっている中学三年生に「なぜ高校へ進学しようと思うのか」という題で作文(400字程度)を書いてもらっている(計230)。これらの作文は、中学生達が現在行いつつある自分自身の進学行為を振り返って記されたもの、すなわち附加的な契機からその持続経過を反省的まなざしに捉える形で構成されたものになる。

事例1:Hさん

「私がこれまでに、なぜ高校進学しようとおもうのか、あまり考えたことがない。それはみんな行ってるし、自分のお姉ちゃんも行ってるし、親も高校は行ったほうがいいって言うし、高校に行くことが自分の周りではあたりまえのように行ってるから、行った方がいいんかなと思う。もし高校に行けへんかったら、なにしとけばいいんかわかれへんなあと思う。私は高校に行きたい。なんか高校って面白そうやし、これから将来なりたいものがでてきたら、高校は出とかななれへんなあと思うから」(95)

「私がこれまでに、なぜ高校進学しようとおもうのか、あまり考えたことがない」
進学動機の質問を契機に進学行為を主題化すると、「今、ここ」を基点にしたHさんの反省的「まなざし」は、この問題に対する「これまでの自己の態度」に向けられる。進学の問題は、これまで彼女の意識の地平に埋もれたまま、ほとんど関連性が取り結ばれず自明視されてきた。その理由が次に示される。

「自分のお姉ちゃんも行ってるし、親も高校は行ったほうがいいって言うし…」
解釈し始めるとHさんの「まなざし」には「直接世界(当時)」の「お姉ちゃん」「親」が捉えられる。観察される「お姉ちゃん」の高校進学の身体的動作(高校生活など)は、Hさんの「経験の貯え」(中学生活の体験など)から客観的意味理解されるが、「お姉ちゃん」の進学の主観的意味はHさんに通知されず、「親」「高校は行ったほうがいい」というだけでその主観的意味は伝えられない。

「みんないってるし」「自分の周りではあたりまえのように行ってるから、行った方がいいんかなと思う」
ここでは「直接世界(当時)」の他者(「お姉ちゃん」「親」)の他に、「みんな」「自分の周り」という「同時世界(当時)」の他者達が「まなざし」に捉えられている。このときHさんは「直接世界」の他者理解(お姉ちゃん)で得た進学行動の情報を、認知の総合によって「周り・みんな」に対しても不変なものと措定し、「経過の類型」を構成して「同時世界」の人々の他者行動を理解している。つまり「不特定多数の人々(私の周り)が同質的な行動(高校進学)をしている」との「経過の類型」を構成し、それによって多種多様な「同時世界」の他者行動を一義的に理解し、同時世界に「多数の人が高校へ進学する制度的現実(きまり)が存在する」と観取しているのである。このように観取される進学行動の制度的現実に自分自身の進学の身体的行動を従わせ、「行った方がいいんかなと思う」と判断する。
(これまでの「お姉ちゃん」の諸行為についての「経験の蓄え」を参照し、そこから「特に何も考えず『あたりまえ』としているらしい」と推測することで、その主観的意味を理解している。これは他者の表現動作をみて想像的にその主観的意味を解釈する純粋な他者理解となっており、他者の意味措定に対する自我の主観的意味理解が正確かどうかは「なぞ」である。これを「間接的な他者理解」としておく。これをもとに人格の理念型を構成し、「みんな『あたりまえのように』進学する」との制度的現実を観取する)

「もし高校に行けへんかったら、なにしとけばいいんかわかれへんなあと思う」
高校進学以外の行動の仕方、すなわち、進学以外の行動を行っている他者の客観的意味理解もなければ、それを基にした進学以外の行動に関する経過の類型も持っていない。ここまでは高校進学の意味は問われない。

「私は高校に行きたい。なんか高校って面白そうやし、これから将来なりたいものがでてきたら、高校は出とかなれへんなあと思うから」
高校在学中にまなざしを向け「面白そう」、高校卒業後にまなざしを向け「将来なりたいもののため」としている。これらは想定される未来の状態(成果の行為)が「今」経過中の行為と動機的に関連すると考えるものなので目的動機といえる。ここではこの目的動機そのものを構成することになった真の理由動機、すなわち過去の体験は明らかではないが、「面白そう」という図式は高校在学中の学校生活を捉えたものなので、Hさんのこれまでの学校生活から得た自分の「経験の蓄え」に基づいて判断したものと考えられ、また「将来なりたいもののため」は高校卒業後という全く未体験の状況を想像したものなので、何らかの他者理解から得られた情報に基づいているものと考えられる。

事例2.Y君

「僕は、はっきりいって今までそんなことは思ったことがない。親や先生とか、自分のまわりでは、よくそんな話をしたり、聞いてきたりいてくるけど、深くは考えたことが無い。でも、塾とかいってたら、だんだん考えられずにもいられなくなってきた。僕の高校のイメージは、勉強をするためにただ何となく、希望する高校を目指して、入試勉強をして通う所と思っていた。それが中学ニ年、三年となるにつれ、大学や社会に出るために中学校で学んだこと以上のことを学ぶところと思うようになってきた。親は、高校で勉強しておけば、社会にでた時に役に立つとか、後から後悔しても遅いんやでとか言ってくる。でも、まだそんな経験はしたことないし、あまりわからない。ただ高校へ行かなあかんと思っているだけだった。社会に出た時、学力がついていないと就職は難しいと聞いたことがある。今はまだわからないけど、ぼくが思っていることは、大人になって仕事をするための学力をつけるところだということだ。」(95)

「今までそんなことは思ったことがない」「深くは考えたことが無い」:
「でも、塾とかいってたら、だんだん考えられずにもいられなくなってきた」:
進学動機の質問を契機に高校進学を主題化すると、「今、ここ」を基点に展開されるY君の反省的「まなざし」は過去の自分自身に向けられ、この問題とこれまで関連性を取り結ばず自明視してきた態度、また「塾」などをきっかけに徐々に自分の問題として主題化し始めている態度が捉えられる。

「僕の高校のイメージは、勉強をするためにただ何となく、希望する高校を目指して、入試勉強をして通う所と思っていた。」:
はじめに進学を自明視してきた時点の自分自身に「まなざし」が向けられる。具体的な他者(直接世界)の客観的意味理解は不明であるが、そこから得た情報をもとに「経過の類型」を構成して「同時世界(当時)」の他者達の進学行動を類型的(一義的)に把握し、それにより「多くの人が希望する高校を目指して、入試勉強をして通う」という進学行動の制度的現実を観取し、それに自分自身の行動を合わせようとしている。ここまでは進学の意味は問われない。

「それが中学ニ年、三年となるにつれ、大学や社会に出るために中学校で学んだこと以上のことを学ぶところと思うようになってきた。」:
次に進学を主題化し始めた時点(中学二、三年)の自分自身に「まなざし」が向けられる。「大学や社会に出るために…学ぶところ」という図式は、想像される未来の状態(高校卒業後)が「今」経過中の進学行為と動機的に関連すると考えるものであるから「目的動機」となるが、この「目的動機」そのものを構成することになった「真の理由動機」(過去の体験)が次に現れる。

「親は、高校で勉強しておけば、社会にでた時に役に立つとか、後から後悔しても遅いんやでといってくる」「でも、まだそんな経験はしたことないし、あまりわからない」
過去の体験、ここでは「直接世界(当時)」の他者(親)の主観的意味理解の体験を「まなざし」に捉えている。「親」はその「経験の蓄え」から高校卒業後を見据えた進学の主観的意味「社会にでた時に役に立つ」「後から後悔しても遅いんやで」をY君に通知する。が、Y君には高校卒業後の自己の状態(社会に出たとき)を捉える「経験の蓄え」がない。そこで高校進学をめぐるこの他者理解は「他者の経験的な意味措定」に対する「自我の非経験的な意味解釈」となり、「そんな経験はしたことないし、あまりわからない」となる。

「社会に出た時、学力がついていないと就職は難しいと聞いたことがある。」:
「今はまだわからないけど」:
さらに別の過去の他者体験に「まなざし」が向けられ、「直接世界(当時)」に居合わせたある他者から卒業後を想定した進学の主観的意味「学力がついていないと就職は難しい」を通知された体験を思い起こすが、やはりY君には卒業後の状態を捉える「経験の蓄え」が無いことから、体験的には「今はまだわからない」となる。

「大人になって仕事をするための学力をつけるところ」
しかし、これらの「直接世界(当時)」の他者(親など)の主観的意味理解で得た情報を「同時世界」の他者達にも一定不変のもの措定し、「仕事をするための学力をつけるところ」との「人格の理念型」を構成して「同時世界」の多数の他者達の意味措定を類型的(一義的)に把握する。これにより「多数の人々が『仕事をするための学力をつける』ために進学する」との進学の意味の制度的現実を観取する。そして「わからない」としながらもこれを受容した結果、最終的に「大人になって仕事をするための学力をつけるところ」との目的動機が構成される。

事例3.Nさん

「私は高校へ進学する。なぜかということをあまり考えたことはありません。それは周りが高校にいくのはあたり前のことという感じだからです。それに、テレビとかを見てても、「高校ぐらい出ないと苦労するよ」とかよく言っているからやっぱり行かんと苦労するのかなと思うから行きます。だから高校に行っても、たいしてやりたいこととかないし、高校の次は大学受験までまた勉強しなければならないとおもうと、少しイヤになります。何かクラブに入ろうと思っても両立するのは難しそうやし。だから何のために高校へいくの、とか言われても、はっきり答えられません。目的を持って高校へ行く人はすごくうらやましいと思います。私はまだ将来の夢とかやりたいこととかは決まっていないけど、高校に行ってから見つけたいです。」(95)

「私は高校へ進学する。なぜかということをあまり考えたことはありません。それは周りが高校にいくのはあたり前のことという感じだからです。」(あたりまえ)
高校進学を主題化すると、「今、ここ」を基点にしたNさんの「まなざし」は過去の自分自身に向かい、これまでこの問題をほとんど主題化してこなかった態度が捉えられるが、その理由として「周り」が進学の意味を問わなかったことが挙げられる。具体的な他者(直接世界)の進学の客観的意味理解は不明だが、そこから得た情報をもとに「経過の類型」を構成し、同時世界(当時)の「多くの他者達(周り)が進学する」という進学行動の制度的現実が観取される。ここでは進学の意味をめぐる他者理解はおこなわれない。(具体的な他者の主観的意味理解は不明だが、何らかの形で得た情報をもとに人格の理念型を構成し、「多くの人が『あたりまえ』のように進学する」との制度的現実を観取し、それを受け入れている。)

「テレビとかを見てても、「高校ぐらい出ないと苦労するよ」とかよく言っているからやっぱり行かんと苦労するのかなと思うから行きます。」
次にNさんの「まなざし」はメディアの他者(同時世界(当時))に向けられる。その他者から通知される進学の主観的意味は「高校へ進学しなかった場合」というNさんにとって未体験の領域であり、この他者理解も「非体験的な意味解釈」となる。が、ここで得た情報を一定不変のものと措定することで「人格の理念型」を構成して「同時世界」の他者達の進学の意味を類型的に把握し、「多くの人が『高校を出ないと苦労する』から進学している」という進学の意味の制度的現実を観取する。「やっぱり行かんと苦労するのかな」と弱い現実感覚のもとに観取し、それを受け入れている。中学卒業後「苦労したくない」から高校へ進学する。

「だから高校に行っても、たいしてやりたいこととかないし、高校の次は大学受験までまた勉強しなければならないとおもうと、少しイヤになります。何かクラブに入ろうと思っても両立するのは難しそうやし。」「だから何のために高校へいくの、とか言われても、はっきり答えられません。」
高校生活はNさんにとって未体験の領域ではあるが、これまでの学校生活の体験から得たNさん自身の「経験の蓄え」から高校の制度的現実を理解する。この理解はNさん自身の経験から構成されたものであり、その現実感覚は強いと考えられるが、そうして理解した結果、「たいしてやりたいこととかない」「また勉強しなければならないとおもうと、少しイヤ」「クラブに入ろうと思っても両立するのは難しそう」と、高校に在籍すること自体に積極的な意味を見出さない。そこで進学する意味は「答えられない」とされる。

「目的を持って高校へ行く人はすごくうらやましいと思います。」
「私はまだ「将来の夢」とか「やりたいこと」とかは決まっていないけど、高校に行ってから見つけたいです。」(目的論)
具体的な他者の主観的意味理解は不明だが、そこで得た知識から「人格の理念型」を構成し、同時世界に「目的を持って高校へ行く人」が少なからず存在すると認識し、進学の制度的現実を「目的を持って行くべきところ」と捉えている。これに対して自分自身は「将来の夢とかやりたいこと」は決まっていないので、自分は「高校に行ってから見つけたい」と解釈を転換する。

4.むすび

A.シュッツの自然的態度の構成現象学に従い、高校進学をめぐる中学生の意味構成の過程を「社会的世界の構造分析」から考察してきた。中学生にとって未経験の領域である高校進学の「行動の仕方」「行動の意味」は、いずれも基本的に他者(経験者)から得られる情報をもとに構成せざるを得ない。これを踏まえ考察の結果を整理する。

第一に、中学生は自分自身がおこなっている高校進学を「みんなが行ってあたりまえ」「ただ行くものと思っていた」とその意味を主題化せずにきた様子がみられる。これは中学生が高校進学をめぐり、「あたりまえのように(意味を問わずに)進学する(してきた)」「直接世界」の他者を客観的意味理解し、それをもとに進学の「経過の類型」を構成して「同時世界」の他者行動を類型的に把握することで、「多くの人が『あたり前のように』高校へ進学する」という進学行動の制度的現実を観取し、それを受け入れてきた結果から生じる、進学の意味に対する関連性のあり方と言えよう。中学生の「直接世界」の他者がそのように振舞う背景には、中学卒業者の95%以上にあたる150万人以上の人々が毎年、高校へ進学するという現象が数年(90〜95年)に渡って継続されてきたという、高校進学が高度に制度化されている現実があると考えられる。中学生からみれば高校進学の意味を主題化し難いような(「関連性のあり方」)現代の社会的状況に置かれている。

第二に、高校進学の意味を主題化すると、その意味を卒業後の目的に対する手段(「将来のため」仕事・就職のため))と解釈する様子がみられる。これは中学生が高校進学の意味をめぐり、直接世界の他者(経験者)が通知する「『将来・就職・仕事のため』に高校へ進学する」を主観的意味理解し、そこから「人格の理念型」を構成して「同時世界」の他者達の進学の意味をも類型的に把握することで、「多くの人が『将来・就職・仕事のため』に高校へ進学する」との制度的現実を観取し、それを受け入れた結果であった。中学生の「直接世界」の他者がそのような意味を伝える背景には、90年から95年にかけて高卒者でも求人数が137万人から64万人、就職率で35.2%から25.6%へ減少し、中卒では求人数が9万人から3万人、就職率で2.8%から1.5%へ減少してほとんど就職できない雇用情勢にあるのを体験的に理解するからと考えられる。他者(経験者)としては「生活の危機」という観点から「就職のために進学すべし」と主観的意味を伝えざるを得ないのである。中学生からすれば高校進学を主題化して解釈し始めると、必ずと言っていいほど「就職のために進学すべし」との主観的意味が提示される社会的状況に置かれていると言えよう。

第三に、中学生としては高校進学は未経験の領域であるため、その「行動の仕方」「行動の意味」について他者(経験者)を参照せざるを得ないのだが、特に他者から提示される進学の主観的意味を確信を持って受け入れるのは難しい。というのは「就職・仕事のため」を解釈するのに類似する「経験の蓄え」を持たないからである。そこで他者から提示される進学の主観的意味を受け入れるだけでなく、それぞれ独自に解釈が展開されるが、その際に基準にされるのが「自己の経験の蓄え」である。事例1では、学校生活についての自己の「経験の蓄え」から「(高校は)面白そう」という意味を見出し、事例2では自己の「経験の蓄え」を参照して「経験したことがないからわからないけど」を繰り返し、事例3では自己の「経験の蓄え」から高校に在籍すること自体の意味は「わからない」とする。

高校進学の意味構成をめぐり、1.そもそもその意味の主題化が促されない、2.主題化しても一定の目的論的な解釈図式しか提示されない、という二重の規制を受ける社会的状況に置かれながら、自己の僅かな「経験の蓄え」から独自の進学の意味を構成しようとする現代の中学生の姿がみられる。彼らの意味構成には社会と個人のせめぎ合う様子が現れているといえよう。

主要参考文献

Schütz,Alfred
1932, Der sinnhafte aufbau der sozialen Weilt -Eine Einleitung in die verstehende Sozilogie (1932,1960), wien, Springes-Verl., (1974), Frankfurt a, M.=佐藤嘉一訳『社会的世界の意味構成』木鐸社 1982年
1962, Collected Papers 1: The Problem of Social Reality, edited by Maurice Natanson, The Hague: Martinus Nijhoff.=渡部光、那須壽、西原和久訳『アルフレッド・シュッツ著作集 第一巻 社会的現実の問題?』1983年マルジュ社
1970, Reflections on the Problem of Relevance, edited, annotated, and with an Introduction by Richard M.Zaner, Yale University Press, New Haven and London,=那須壽他訳『生活世界の構成 −レリヴァンスの現象学』1996年 マルジュ社
Berger, Peter L. & Luckman, Thomas,
1966,The Social Construction of Reality; A Treatise in the Sociology of Knowledge, Doubleday.=山口節郎訳『日常世界の構成』1977年新泉社
文部省
『平成13年度版 文部統計要覧』大蔵省印刷局 2000年
厚生労働省大臣官房統計情報部
『労働統計要覧(平成13年度)』財務省印刷局 2002年[厚生労働省統計表データベースシステム
森重拓三
「あいまいな進学動機の社会学的研究 ──シュッツ=パーソンズ問題の新しい地平をめざして──」『立命館産業社会論集』第34巻 2号 1998年
「進学の相互行為論的考察──進学をめぐる受験生の物語構成を中心に──」[pdf] 『立命館産業社会論集』 第35巻1号 1999年
[2003年7月10日改定]
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