報告3「discrepancyの社会学としてのシュッツ社会学」報告要旨

浜 日出夫(慶應義塾大学)

「過ぎ去った事柄を歴史的なものとして明確に言表するとは、それを<実際にあった通りに>認識することではなく、危機の瞬間にひらめくような想起を捉えることを謂う。(ベンヤミン「歴史の概念について」

要旨

 シュッツ社会学のアクチュアリティの所在について考える。シュッツの「歴史化」ではなく「現在化」を図ること。てがかりとしての“discrepancy”概念。さまざまな亀裂が走り、不一致と食い違いに満ちた、危機としての日常生活世界。
cf.「シュッツの言う日常生活世界とは、何と長閑な平和な世界であることか。そこには、シュッツの言う意味での常識的知識を共有してはいながらも、お互いの利害関係の対立によって争う人びとの姿はどこにもなく、また世界観の対立によって理念的葛藤に日夜明け暮れ、場合によっては殺しあいまでするような先鋭なる人びとの争う姿も見当らない」(下田直春『社会学的思考の基礎』
I  ウェーバー・パーソンズ・シュッツ

(1)シュッツのウェーバー批判

「彼[ウェーバー]は世界一般が、したがってまた社会的世界の意味現象が、素朴にも間主観的に一致するものとして仮定することで満足している。」(『社会的世界の意味構成』
cf.「『動機』とは行為者自身や観察者がある行動の当然の理由と考えるような意味連関である」(ウェーバー『社会学の根本概念』
フッサールの「危機」論文(1936)と並行
cf.「学問の『危機』は学問が生に対する意義を喪失したところにある」(フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』
理念型=「理念の衣」
「どのようにして主観的意味連関の科学は可能であるか」(『社会的世界の意味構成』
自然的態度の構成的現象学
主観的意味連関の構成を行為者自身の反省を通して解明

(2)シュッツのパーソンズ批判

シュッツ=パーソンズ論争の論点

1)事実の定義
「概念図式を用いてなされた現象に関する経験的に検証可能な言明」(『社会的行為の構造』)
「危険」(『社会理論の構成』)
2)主観的観点
「[行為]図式の準拠枠は、ある特殊な意味において、主観的である。つまりこの準拠枠が取り扱っているものは、その行為が分析され考察されている行為者の観点からみて、現出しているような現象−−事物や事象−−である。」(同)
「行為の理論というのは主観的観点がとりいれられなければ無意味であることを、パーソンズ教授は正しく洞察している。だが彼はこの原理の根源をつきつめていない。彼は行為者の心のなかの主観的諸事象を、観察者だけに接近できるその事象の解釈図式ととり違え、したがって主観的現象の解釈のための客観的図式とこの主観的現象自体とを混同してしまっている」(同)
3)規範的価値/動機
P 価値の規範/合理性の規範
「この範疇[規範的価値]もまた、純粋な解釈図式であり、したがって主観的観点と両立できないものである。」「規範的価値いっさいは、目的の動機の体系ないしは理由の動機の体系として解釈することができる。」(同)
4)秩序問題
P「共通価値による統合」(←ホッブズ問題)
「行為者のみが実際の目的を知っている。……観察者には、彼が目的であるとみなす事柄は行為者にとってもまたそうであるのかどうかとか、それがたんに中間的目的であって、行為者の投企の幅のうちに含まれている究極的目標を実現するための一手段にすぎないのかどうかといったことを決定することはできない。」(同)
cf.「『思念された意味』とは基本的に主観的なものであり、原理的にいって体験者による自己解釈に結びついているものである。それは個人の意識の流れのなかでもっぱら構成されるのみであるから、汝には本来接近できないものである。」(『社会的世界の意味構成』
  ↓
いかにして世界の間主観性は可能か?(=「羅生門問題」)
「行為者によって主観的に自明視されている世界が、観察者にとっても同様に疑問の余地のないものであるという保証は何もない。……だが、それにもかかわらず、少なくとも或る程度まで、人は他の人を理解することができる。このことはいかにして可能なのか。」(「行為の企図の選択」)
  ↓
視界の相互性の一般定立
II シュッツの危機認識

(1)学問の危機(前述)

「昼は銀行員、夜は現象学者」

(2)コミュニケーションの困難

「仮に世界の相互主観的な経験は実質的には同一であるというこの信念[視界の相互性の一般定立]が崩壊すれば、その場合にはわれわれが仲間たちとコミュニケーションを確立する可能性そのものが破壊される。そのようなひとつの危機状況においては、われわれはそれぞれ、自己の独我論的牢獄という突き破ることのできない堅い貝殻の内に、つまり他者たちはわれわれにとって、またわれわれは他者たちにとって、そしてまたわれわれはわれわれ自身にとって単なる幻影となるような牢獄の内に生活していると確信するようになるのである。」(「ドン・キホーテと現実の問題」)
「ドン・キホーテとサンチョ・パンサがともに経験する事物と出来事が違った解釈図式に従って解釈されるとしたら、それでもそれらは同一の対象に関する共通の経験なのであろうか。」(同)=“discrepancy”
III “discrepancy”の用例

(1)帰還兵→「帰郷者」

「故郷を留守にしている者が自分の諸経験に帰属させる独自性や決定的な重要性と、その諸経験に疑似的関連性を担わせている故郷の人びとによる疑似的類型化との間にみられるこのような亀裂(discrepancy)は、崩壊したわれわれ関係を相互に再構築しようとする際に最も大きな障害となるもののひとつである。しかも、帰郷が成功するか失敗するかは、こうした崩壊した社会関係を再び元のわれわれ関係へと変換するチャンスにかかっていよう。だが、たとえこうした亀裂が現勢的でなかったとしても、この問題を完全に解決することは実現不可能な理想にとどまろう。」

(2)亡命→「よそ者」

「よそ者は、新しい文化の型に関する自分の解釈が、内集団の成員たちの間で通用している文化の型の解釈と一致していると想定することができないことは明白である。むしろ逆に、彼は、物を見たり状況を処理する際に、諸々の根本的な不一致(fundamental discrepancies)を考慮に入れなければならない。」

(3)ユダヤ人→「平等と社会的世界の意味構造」

「集団の主観的解釈と客観的解釈の食い違い(discrepancy)」 「部外者が自分の関連性体系を自分が類型化した諸個人に賦課する権力をもち、そしてとくにその制度化を強要する権力をもつならば、このことによって、自分の意思に反して類型化された諸個人の状況には様々な影響が生じるであろう。」
ex.納税者、徴兵該当者、借家人
「だが、次のような場合には状況はまったく違ったものになる。すなわち、個人の人格の全体ないし広範な層を類型化された固有な特性ないし特徴と同一視することによって、賦課された類型化が人格をこなごなに打ち砕く場合である。」
「もし彼が、賦課された異質な関連性の体系からみて、自分の私的な状況の定義のなかには関連性があるものとしては含まれていなかった社会的カテゴリーへと自分を位置づけるような、そうした固有の特性ないし特徴と、全体としての自分自身とを同一視するように強いられる場合にはどうであろうか。その場合彼は、もはや自分が自分自身の権利と自由をもった人間とは扱われず、類型化された部類のひとつの交換可能な代物にまで貶められていると感じる。彼は自己自身から疎外されており、類型化された特性ないし特徴の単なる標本にすぎない。……ここにおいて、彼の関連性領域の私的秩序が完全に破壊されること、つまり……危機に至ることさえもある。」
2、3の例
「自分自身は善良なドイツ人であり、ユダヤ教に対する忠誠にはっきりと距離をとってきた人びとが、ヒットラーのニュルンベルグ法によってユダヤ人だと宣言され、そのときまではまったく関連性がなかった事実である祖父の出自に基づいて、ユダヤ人として扱われるようになったことを知った例」

(4)グールヴィッチ宛1941年4月26日付手紙(パーソンズ宛の最後の手紙の5日後)

「この世の廃墟から現象学が救済されると信じておられるだけでもあなたは相変わらずの楽天家です。私はもはやそれを信じません。ブッシュマンたちは恐らく先ず国家社会主義の思想財に習熟しなければならないでしょう。このことは私たちが生きてきたように、私たちが朽ち果てることを妨げません。それゆえに、われわれは“われわれ”の世界のなかに、われわれの“世界”のなかではなしで済ませなければならない秩序を創り出すように努力しなければなりません。すべての対立はこのアクセントの移動のうちに隠されています。」(『亡命の哲学者たち』)
パーソンズ:「われわれの“世界”」のなかでの秩序
シュッツ :「“われわれ”の世界」のなかでの秩序
IV シュッツの再発見

(1)グールドナー『西欧社会学のせまりくる危機』(1970)

「二重帳簿」(「方法論的二元論」)
「社会学者は、他の人びとを研究するときには、人間は文化と社会構造によって形成されるという核心的な社会学的仮説を用いるのだが、おのれ自身について考察するばあいには、人間はみずからの文化を形成するという仮説を暗黙のうちに用いる。」(『社会学の再生を求めて』)

(2)井上陽水『断絶』(1972)

「傘がない」
都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない
行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
つめたい雨が今日は心に浸みる
君の事以外は考えられなくなる
それはいい事だろ?

社会を見るまなざしの「コペルニクス的転回」
『自殺論』
  ↓ 「君の事以外は考えられなくなる それはいい事だろ?」
そして「君に逢う」ことの不可能性
竹田青嗣「陽水的世界のメルクマール」
「ロマン的世界への挫折とそれにもかかわらず立ち昇ってくるロマン的世界への憧憬」(『陽水の快楽』)

主要参考文献

シュッツ『社会的世界の意味構成』木鐸社
スプロンデル編『シュッツ=パーソンズ往復書簡 社会理論の構成』木鐸社
ブロダーセン編『社会理論の研究』(アルフレッド・シュッツ著作集3)マルジュ社
浜日出夫「シュッツ=パーソンズ論争」『社会学ジャーナル』第14号、筑波大学
浜日出夫「エスノメソドロジーの原風景」『エスノメソドロジーの想像力』せりか書房
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