佐藤嘉一(2004)『物語のなかの社会とアイデンティティ——あかずきんちゃんからドストエフスキーまで』晃洋書房、vi+195+14、B6判、2600円+税
1.意図された二層性——本書の基本的構成
・「物語」の「なか」に示される「社会とアイデンティティ」を語る。→「自己論」、「自己の状態のなかの社会」という通路。
→「私語り」という通路の呈示。
・はたして、こうした「意図」は成功しているか?
2.「私語り」という通路
・「私語り」という通路を明確化させるために、「自己物語論」と対照させてみる。→後者は、「自己」が「自己を物語る」ことによって「自己が構成される」という再帰的な動態性を本質とするのに対して、「私語り」が措定する「自己」とは如何なるものか。
・ここでの「自己論」あるいは「私語り」とは「自己(「わたくし」)のなかの社会の存立の探求である」(2)。→しかし、述部にある課題は「私語り」に全的に還元可能だろうか。
3.シュッツ社会学の継承と展開
・佐藤嘉一氏による「シュッツ社会学」の本質的な力点は何処に置かれているか。→『社会的世界の意味構成』は「「自己のなかの社会」研究の最初のマニフェストである」(5)。
・「私語り」と「社会的世界の現出論」[張江]とは同様の事態を指示している。しかし、そこに差異はないのか。
4.「構造論」と「行為論」と「自己論」との関係とは如何なるものか。
・「「自己のなかの社会」という自己論は「社会のなかの自己」の行為論を中間に挿んで「社会」の構造論(ないし制度論)へと裏返される位置にある、三者は表裏一体ではないかと」(6)。・「三つのアプローチは、……緊張関係に立ちながら相互補完しあえるのであって、三者を両立できないものと考える必要はない。むしろ三者はいわば「三幅対の構造連関にある」と仮定することによって「自己のなかの社会」の立ち現れが明視されうることを、本書における考察の全体が示している」(ibid.)。
→「三幅対の構造連関」という比喩的な表現だけでなく、3者の相互連関はより具体的にどのようなものと考えられるのか。たとえば、佐藤氏が語る「自己論」はたんに行為論に並置されるのではなく、むしろ、前者は後者を基礎づける関係になっているのではないか。