社会構築主義の論理と間主観性の問題[Microsoft Wordファイル:62k

古谷公彦((財)政治経済研究所)


1.「オントロジカル・ゲリマンダリング」の基本構図と付随する論点

 ・ウールガーとポーラッチの「オントロジカル・ゲリマンダリング」(平・中河(編)2000p.18-45)

 その基本構図:「構築主義アプローチは、社会問題だとされる「状態」から、問題の定義活動へと(あるいは逸脱だとされる「行動」や[人]から逸脱の定義活動へと)研究の対象を転換することを呼びかけた。ウールガーとポーラッチは、構築主義的と目される事例研究を網羅的に検討したのち、そうした諸研究ではその公認のポリシーに反して、「状態」についての一定の想定が暗黙のうちに導入されていると指摘する。」つまり「一定の属性を示す社会の「状態」(や人々の「行動」)が客観的に存在するという判断が、それについての特段の証拠を示すこともなく、議論の筋道に密輸入されている。」(中河1999 p.272-3)

 「問題だとされる社会の状態があるかないかの判断は行わないと公言しながら実はそれを密輸入しているのではないかという、構築主義的研究に対する疑惑。」(平・中河(編)2000 p.10)[1]

ウールガーとポーラッチの挙げる「児童虐待の事例」:Pfohl, Stephen J. 1977”The ‘Discovery’ of Child Abuse.” Social Problems 24:310-23「アメリカにおける子どもを殴ることをめぐる定義の移り変わりを扱う」として、この論文を例として検討。
・19世紀まで:しつけと服従のために必要p.28
・19世紀初頭:改革主義者たちは、殴られる子どもたちや遺棄される子どもたちの惨状に注意を向けたが、貧困というもっと大きな問題の一部であると見て施設への収容を目指した。
・20世紀の初め:大恐慌および施設に収容する政策の明らかな失敗。児童と児童福祉に対する関心の増大。しかし、児童福祉機関は虐待行動に気づかず、医師たちも診断対象としての虐待に気づかず、刑事裁判過程に関与することに躊躇。
・小児放射線科技師が、虐待の問題と自分たちを結びつけることによって地位を引き上げるチャンスを見出す。小児科医と精神科医の二つの専門職からの支持を得る。一致協力して、診断を下すことから利益を上げることができるような、虐待にふさわしい医学的レッテル(被虐待児童症候群)を、法的レッテルに対抗しながら作り出し、公認させる。p.29
「クレイム申し立て活動が言及する状態は固定したものとして描かれる。対照的にこの(変化しない)状態についての定義は非常に変わりやすいものとして描かれる。」そして「こういった定義の変動(ヴァリエーション)は社会−歴史環境に関連させて「説明される」。」p.30

フォールの論文には「児童虐待の『発見』」という題名がついており、「虐待を個人が犠牲となる行為として問題にする際に立ちはだかる重大な障害が取り除かれた」といった表現のように「障壁、障害、妨害物、制約といった言葉が使われているが」p.34同時にフォールは「「この論文はこどもを殴ることについて逸脱のレッテルを生み出した社会的勢力の組織を研究したもの」」p.30とも述べており、「社会問題は定義により構成されるという論理的前提にしたがって議論するのであれば、発見として語るのでは一貫しない。」p.31そのように「フォールは「虐待」を、説明されるべきレッテルと、そのレッテルを原理的に説明するかもしれない客観的行動の両方を意味するために使用する。」p.33

これが、中河がOG1と呼ぶもの(「研究者自身は行わないとしていた「問題」とされる「状態」の存在論上の地位についての想定をその考察に密輸入している」こと)と捉えられる。

と同時にウールガーとポーラッチは次のように述べることで「ラディカルな構築主義」と呼びたい立場の可能性を示唆する。「子どもを殴るという用語もまた想定された行為についての特殊な知覚を含むという意味では評価的で」あり、読者は「「子どもを殴ること」は「児童虐待」よりも事実を表現した用語であると思うかもしれないが、しかし、それもレッテルあるいは構築物なのである。」p.32 この主張に関して中河はOG2(「社会学的な説明というものは(あるいは記述という行い一般が)こうした暗黙の線引き作業を免れることができないのではないかという示唆」)と呼んでいる。

そして、この事例に関してではないが次のように述べることで、研究者自身の研究行為の社会的な影響を反省的に焦点化する立場を導く論点を提出する。 「状態に名前をつけ、同定し、記述するうちに、これらの著者は、自分たちが論じている想定された行動や状態について必然的に定義を下している。クレイムメイカーたちのクレイムは説明を必要とする社会−歴史的構築物(定義)として描かれるいっぽうで、著者たちのクレイムや構築の作業は隠されたままであり、所与であるとみなされている。」p.24

2.「オントロジカル・ゲリマンダリング」の指摘に対する構築主義者たちの反応

「厳格派」:この批判に応えて構築主義プログラムの手直しや「のりこえ」を試みる。主にエスノメソドロジーやポストモダン理論にさらに近づく形で模索。

「コンテクスト派」:この批判への具体的対応の必要を認めなかった人たち。基本的にはそれまでの事例研究の分析のスタイルと手順を踏襲しながら、社会運動論のうちの「主観的側面」を重視する部分(たとえばシンボリック相互作用論やゴッフマンのフレイム概念を援用したギャムソンらの社会運動の構築主義)との連携も視野に入れていく。(中河1999p.274)

ホルスタインとミラーはポルナーの分類に従って、厳格派またはトピック的な構築主義、コンテクスト派または客観主義的な構築主義と共に分析的な構築主義(中河が「ポストモダニズムの議論」と呼ぶものにほぼ対応)を挙げ、次のように述べている。「様々な形の分析的な構築主義は、構築主義のいろいろなヴァージョンの間にある非一貫性やあるヴァージョンの内部の非一貫性のはらむ緊張を探索するかもしれない。それらは、生活世界についての構築主義的な記述さえも脱構築して、リフレクシヴィティのより深い理解を追求するかもしれない。構築主義(および客観主義や実証主義、その他の認識論)の可能性を理解しようと試みることがその目標となる。」(平・中河編2000p.113-4)この立場は「ラディカルな構築主義」ともつながるが、主に先に述べた研究者自身の営みを反省的に焦点化する立場といえる。これはギデンスの言う「二重の解釈学」とつながる。

「ラディカルな構築主義」はミラーとホルスタインが「社会構築主義とその批判者たち」で「ポスト構造主義の社会問題理論を発展させるためには、ポスト構造主義者は、自分たちの分析と結びついている想定を真剣に検討する(おそらく脱構築する)必要がある」(平・中河編2000p.133)としている立場につながると捉えられる。


原則として「事実の観察」に基づく自然科学の研究に対して、社会(科)学は調査やインタビュ−も含めて言語的な文献資料に基づいた研究を行なう。その際、資料には「事実の記述」を行なっているものと、「意味づけの記述」を行なっているものに分けることができる。後者の代表的なものが、レッテル(ラベル)貼りやクレイム申し立てを述べているものである。(価値観や規範さらには法律・条例・規則・規約・約款等々も入るかもしれない)

 この意味づけの記述の資料のみを社会問題の社会学で用いようという提案が、スペクターとキツセの著作であったが(定義主義アプローチ)[2]、この意味づけの実践が相互行為状況で行なわれると、意味づけに基づいた又は反撥した行為が発生し、行為の「事実的所与性」を導くことになる。それまでになかった新たな意味づけが相互行為状況において認知され、相互行為の「事実的連鎖」が導かれるとき、社会問題等の「社会的構築」が行なわれたと見ることができる。

 この社会的構築を説明しようとする場合、行為の事実性と関わらざるを得ない形で、先の意味づけに関わる「事実の記述」が要請されることになる。「意味づけに導かれた相互行為の連鎖の事実性」と意味づけの以前(及び以後)の「事実の記述」との関係を論理的に明らかにしていない事例研究が「オントロジカル・ゲリマンダリング」と呼ばれたことになる。

 こうした意味づけと事実認定に関しては、当事者間、当事者と研究者、研究者間、研究者と読者間、等々のレベルでどのように認識されるのかといった間主観性の問題が出てくる。特に、当事者同士の場合、意味づけに関する同意が成り立つ場合は勿論、対立が起こる場合でもそれが相互行為を導くということで事実性に関わることになるので、研究する場合はその錯綜を自覚的に解きほぐしておく必要がある。

 先の児童虐待の事例でも見てとれるが、意味づけは相互行為の文脈の中で新たに生まれるとともに、その新たな意味付けに関する支持が広く得られるような歴史的社会的状況が生まれていれば、その意味づけは以前からある「事実」として認定されることとなる。この意味づけと事実認定との相互行為における「弁証法的」な関係を解明していくために、間主観性論の諸論点が有効になると捉えられる。

3.間主観正論の論点

ニック・クロスリーによる間主観性の根源的位相と自我論的位相の区別。

根源的位相:ブーバーの「我—汝」関係と等しい。自己意識の欠如と他者へのコミュニケーションの開け。

自我論的位相:フッサールから引き出される。自己を他者の位置に想像上で移し入れることによって、他者性を経験する自己移入的な志向性。(クロスリー2003p.55)

自我論的態度は、基層にある基盤としてつねに必ず根源的態度を伴う。われわれが他者に反省的に気づくときにはいつでも、われわれは非反省的なレベルで、他者の動きに依然としてつねに必ず反応している。(同書p.136)

間主観性の問題には、上のクロスリーの議論のような、他我問題を含んだ自己と他者の存立構造とコミュニケーションの可能的条件、といった問題と廣松共同主観性論が焦点化している、能知的主体の「ヒトとしての同型性」に基づく対象に関する意味把握の同一性、といった二側面があると捉えられる。今回の報告での議論に特に関わるのが、第4章「具体的な間主観性と生活世界」でシュッツを手がかりに論じられている「相互理解」の条件やその構造をめぐる論点であると考えられる。そこでは、廣松哲学では抽象的一般的な形で捉えられている能知的主体の同型性や対象的契機の意味の同一性を、「相互理解が有意味なシンボルによって保証されるのではなく、対話者の活動によって達成されなければならない」(同書p.154)として、より具体的で柔軟な形で捉えられることになる。

「集合的な意味形成過程がうまくいくためには、コミュニケーションの行為主体は、自分自身とその対話者の間にあるパースペクティブないしは背景的知識の不一致に気づかなければならず、またそうした行為主体は、その不一致によって形成される溝を埋めるようにしなければならない。」「このように機能するためには、参与者間の「パースペクティブの相補性」に関する二つの想定がなされなければならないとシュッツは主張する。彼はそれらを、「立場の交換可能性の理念化」と「関連性体系の一致の理念化」と呼ぶ。」(同書p.158)ここでは対面関係の場面に関して述べられているが、必要な変更を加えればより広い社会関係に応用可能と考えられる。

「メルロ=ポンティやミードとともにシュッツが主張したのは、習慣や類型化は、諸個人の自由や知性のためにも、また社会組織の有効性のレベルの保持のためにも、実践的な必要物であるということである。」(同書p.163)ここでは「他者」が「主体の関連性構造に応じて類型化されている」(同書p.161)ということについて述べられているが、先の「意味づけ」の問題一般にも同様に当てはまるということができる。

[1]ウールガーとポーラッチは次のように述べている。「うまくいった社会問題についての説明は、分析や説明のために選択されたある事態についての真の状態を問題視することに依拠しているのであるが、その一方で、分析が依拠する前提にも同じ問題が当てはまるという可能性を背景化したり最小化したりしている。オントロジカル・ゲリマンダリングという手段を用いて、定義主義的な説明の支持者らは、(明らかに)問題であると理解されるべき前提とそうでない前提の間に境界線を設ける。この「境界線を引く作業(バウンダリー・ワーク)」は、現象ごとに存在論的な不確実性について異なった感受性を産み出し、維持する。ある境界は存在論的な疑いに適うものとして描かれ、別の領域は(少なくとも一時的には)疑いを免れるものとして描かれる。」(同書p.22)
 ウールガーとポーラッチが「検討した諸研究の構造は驚くほど類似している。いずれからも、?クレイム申し立て活動が対象とする現象や想定された状態、?状態についてなされる一つないしそれ以上の定義やクレイム、?定義者(クレイムメイカー)のアイデンティティという三つの主要な特徴を同定できる。事例研究は、すべて同一の二部構成を見せている。第一に、行動と状態のある組み合わせを持ち出し、それに結びつく様々な反応(定義やクレイム)のイメージを提示することによって説明は始まる。第二に、それぞれの研究は、どこにでもある社会−歴史的環境の諸特性を呼び出してきて定義の変動幅を説明する。」(同書p.20)「説明の前半部それ自体は、三つの鍵となる指し手(ムーブ)に分けることができる。第一に、著者たちは、ある状態や行動を定義する。第二に、彼らは、これらの状態(または行動)について下された様々な定義(またはクレイム)を同定する。第三に、著者たちは、定義に関する状態の不変性とは反対に、定義の可変性を強調する。」(同書p.21)
 以上の叙述を他の箇所で述べられている論点を含めて中河は次に様にまとめている。「どの研究でも、問題とされる「状態」、「状態」についての定義(クレイム)、その定義を行なうクレイムメイカーが同定され、この三種類の道具立てを使って、二部構成の説明が行なわれる。まず、ある「状態」とそれについての定義の可変性(定義が時とともに変わってきたとか、同時期に同じ事柄について異なった複数の定義が観察できるとか)示される。続いて、社会的な「勢力」や優勢な「世界観」や「文化的な概念」や「社会構造」といった歴史—社会的な要因によって、そうした定義の可変性が説明される。」(中河1999p.272)

[2] キツセとスペクターの『社会問題の構築』に関して中河伸俊氏から05年4月2日付のメールで次のようなご教示を頂いた。「キツセとスペクターは、『構築』のタイトル以外では、構築という語は使っていません。かれらは、この本の原型となる何本かの論文の段階から、自分たちのやり方を「社会問題への定義的(definitional)アプローチ」と呼んできました。タイトルも、構築(物)(construction)ではなく、「構築する」と形容動詞になっている点が重要です。キツセらにとっては、「構築する」と定義過程とは同義です。そして、この定義過程へのこだわりは、ラベリング論の立ち上がった時期に、初期のエスノメソドロジーから、A・シクレル経由で移入されたものです。」

参考文献

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