ある難病患者にとってThey-relationがもつ意味〜A.シュッツのアクチュアリティ[要旨Microsoft Wordファイル:380k / 資料Microsoft Wordファイル:33k

平英美(滋賀医科大学)


序 問題設定

(1)I-We-Theyの相互関係

難病患者OGさんを事例に、They-relationが彼女にとってどのような意味を持つのかを考える。 「I-We-They」の相互関係については、すでに、木下が次のように述べている

−「a)IがIであるためにはYouではなくTheyの関係が不可欠なのであり、b)Theyがあることによって初めてプライベートな関係であるWeが形成されるのである」(木下、1997:53)[1] 。ここで指摘されたa、bの2点についてデータに即して検証してみたい。

(2)観察の観察

こういったケースの検討をとおして、Theyに属するカテゴリーの一つである「保健師」の「専門性」あるいは社会的役割について考えていきたい。したがって、こういった「事例検討」は、多少とも、「観察の観察」としてフィードバックを狙いとしている[2]

? 背景

a.関西の山村、A町に暮らす老夫婦。御主人のOGさんが森林組合を退職後、御夫婦は、海外赴任された息子さんの留守宅を預かることとなり、大都会のB市で数年間、暮らした経験がおありである。B市から戻ってこられて直ぐに、奥さんのOOさんは、難病を発病されたため、歩行や発声が困難となり現在にいたっておられる。病気が進行するなか、介護保険を使用しながらも、家事全般はOGさんがこなしておられる。

b.A町は高齢化が進んでいるが、町おこしで成功している。高齢者が中心となって町おこしを担っており、そういったアクティブな高齢者に話をうかがうというのが調査のもともとの目的であった。対象者の紹介は、共同研究者のNさんが保健師である縁で、A町保健センターの保健師であるMさんにしていただいた。OGさんは、難病の奥さんを抱えておられるにもかかわらず、高齢の患者を隣町の病院まで送迎するというボランティアを続けておられるということで、対象者の一人に選ばれた。

c.OGさんは、4年ほど前に送迎ボランティアを始め、週3回程度たずさわっておられる。ボランティアの楽しみについてOGさんは次のように語っておられる−「送迎の車の中が長いから、行き帰りの道中で、昔のことを聞かせてもらいます。このごろは、話を聞いてあげるっていうより、昔の話を興味を持って聞かせてもらってます。」なぜ、OGさんがボランティア活動を続けているのかについては、後に考える。

d.これまで、OGさんには3回ほど聞き取りをしている。ここで分析の素材にするのは、主に、NさんとMさんによる2回目の訪問である。1回目は、Nさんを含む難病看護の研究者3名で行われたが、Mは参加していない。そのような聞き手側の事情もあり、OGさんだけでなく、OOさんに話をうかがっている。そして、2回目の訪問では、1回目におけるOOさんのある語りから生じた疑問を明らかにすることが目的の一つに加わった。

d.1回目の訪問の際に、Nさんが「ここに住んでいて何か楽しみにしておられることはありますか」とOOさんに尋ねたところ、OOさんは「お山をながめることを楽しみにしている」と答えた。しかし、外部からの訪問者であるNさんらには、「お山」がどの山なのか、どのような由来の山なのかが特定できなかった。[3]

? 「お山」をめぐる言説

(1)パラマウント・リアリティ

 資料Aは、「お山」がトピックとなったsequenceの冒頭部分。
?「お山」=弁天さんのお山
?Mさんの「ポジション」 -er & -ee
 お山≠弁天さん
?楽しみは「ない」 NさんとOOさんとのトピック(主題的)レリバンスの齟齬
?「コミュニケーションの困難」という事態 
 聞き手によるリピート 確認or修復  発話を待つ間 →間主観性[4] の維持
    「代弁(=代理現前represent)されやすい者」というMCD 
 このシーンでは、N、Mとの会話だが、この事態は夫婦にとって支配的現実
  OGさんは補聴器使用 夫婦間では通常トーキングエイドという補助具を使う
  「用件しか話さない」とOGさんは語る

(2)誤解の協同達成

?資料Bで、OOさんは、弁天さんに「毎年参っている」とかなりはっきりと発言。
しかし、「歩行困難」→「御主人に連れて行ってもらう」→「その事実なし」→「今は行っていない」という推論によりMさん、Nさんの認知的不協和は解消
?34の「行っている」というOOさんの発話は「病気になる前までは行っていた」と翻訳。
?では、「毎年参っている」のパフォーマティブな意味は?
*なぜOOさんが弁天さんを「お山」と呼ぶのかも明らかにならなかった。

? 「お山」のThey-relation

(1)「お山」の

?3回目の訪問で、OGさんほか地区の人は誰も弁天さんを祀る山を「お山」とよんでいないことが判明。
?「引用の想像力」 以前OOさんを担当していた保健師のOKさんが使用した言葉
別の町に住む類似の境遇の患者が、OOさん同様に窓からある山を眺めるのが好きで、その山を「お山」と呼んでいたため。OOさんはあえて、OKさんによるカテゴライゼイション、類型化を引き受けた[5]。(←OKさんはOOさんを「かれら」として志向)
?同じ地区出身のMさんが、よく知るOOさんを担当しない理由。プライバシーまで知りすぎているがゆえに、OOさんを「かれら」として志向しづらい。

(2)それぞれの「They」

?OOさんにとっての「お山」という物言い→OKさんとの関係を象徴 患者(類型)の一人 夫婦とは異なる第三者との(秘密?の)関係の構築 Nさんに「お山」と応えたのもNさんが保健師だから?
 そのほか 患者会にも積極的だったという証言が
?OGさんにとってボランティア活動が持つ意味は、OGさんの「お山」と相同的
 病気の妻の世話を自分のアイデンティティの根拠にしない

? 保健師(They)による介入の意義

(1)声の獲得

*2回目の訪問全体がそういう意味を帯びているのだが、資料Cに典型的なシーン。
?歩行器使用中の事故について OGさんとOOさんとのあいだでリアリティ分離(解釈的レリバンスの齟齬)が生じている 資料5と異なりNに残る不満
?長い沈黙のあとの29の発話 
?いったん47でこのトピックは終息するが、かなりあとで復活[6]

(2)Weの立ち上がり方

?ベッドや車椅子の導入を断る 「いずれお世話にならないといけないけれど…」
→「ノーマル」なプライベートを確保する 生活のコントロール権

[1] この木下の枠組みは、[天田、2002][天田、2003]でより精緻に検討されている。とくに、前者は、われわれの事例とはある意味対照的な結末に至った事例をとりあげている。
 もとより、木下の用語法は、シュッツのそれと異なるかもしれない。ここでわれわれがシュッツに依拠するのは、他者を「彼ら」として志向するか、「汝」として志向するのかという「志向性」の差異という視点が、分析に際して有用であったからである。どれが「We-relation」か、どれが「They-relation」かは、所与であるわけではなく、They-relationの図としてWe-relationが−あるいはその逆が−コンテキストのなかで相互行為的に決定される。西原[1998]にならえば、現象学的社会学の「相互行為論的還元」ということになるであろうか(発生論的次元にはとうてい届かないが)。
[2]ここでの「観察の観察」は、伊原[近刊]の用語。「批判」なり、「応用」なりを目指す社会学的観察は、「不定」であり「コミュニケーションの窺い知れなさ」に身を置かざるをえないことを伊原は指摘する。
[3] 「お」という接頭辞によって特別視されているのは、OOさんが暮らすE地区あるいはE地区を含むC地域にとって信仰の対象となっている山だからではないのか、したがって「お山」はOOさんの共同体回帰を象徴しているのではないか、などと曖昧に解釈されるにとどまった。
[4]  ここで使用している「間主観性」は、シェグロフに従ったもので、会話においてリペアを重ねながら局域的に管理される共通理解の達成のことであり、超越論的意味はない。
[5] 「山を見つめ続ける」という行為がもつ象徴的意味とはなんであろうか?
[6]  OOさんにとって体躯を保持することは生死を分かつ重大事なのである。

文献

天田城介
[2002]「老夫婦心中論(1)−高齢夫婦介護をめぐるアイデンティティの政治学−」『立教大学社会福祉研究』第22号.
[2003]『老い衰えゆくことの社会学』多賀出版.
木下康仁
[1997]『ケアと老いの祝福』勁草書房.
NHKスペシャル取材班編
[2004]『NHKアーカイブス特別編 二人だけで生きたかった−老夫婦心中事件の周辺−』.
西原和久
[1998]『意味の社会学』弘文堂.
Schegloff, Emanuel A.
[1992]Repair after Next Turn: The Last Structurally Provided Defence of Intersubjectivity in Conversation, AJS 97-5:1295-1345.
矢田部圭介
[2005]「親密性と汝志向:シュッツの〈形式的な概念〉が示唆すること」社会科学基礎論研究会要旨.
矢原隆行
[近刊]「システム論的臨床社会学と構築主義」『新版 構築主義の社会学』.
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