長らく世俗化論を主要なパラダイムとしてきた宗教社会学は、1970年代以降のイスラーム復興をはじめとする世界各地の宗教復興を前にして、その知の枠組みをどのように再構築すればよいのか、戸惑いつづけているように思われる。世俗化論は相変わらず有効であるとする議論が跡を絶たない一方で、世俗化論に批判的な宗教社会学者も、世俗化論を乗り超えるような有効なパラダイムをなかなか見出せないでいる。
しかし、その世俗化論の理論構造の一体どこに問題があったのかについての反省は、それなりに深められてきているように思われる。たとえば中野毅は、世俗化論の隆盛の背景として「第二次世界大戦後における高度産業社会下での宗教変動の社会的要因を研究することから出発した宗教社会学の分野では、近代的国民国家を当然の前提とした研究が多かった」ことを指摘し、そこから「今日の近代的国民国家自体の問題性・限界性、すなわちイデオロギー性を明らかにする」ような研究スタンスへの転換の必要を説いている[中野,2002: 38-39]。国民国家を分析の自明の前提とみなす従来の社会科学の思考方法に、宗教社会学もまたとらわれていた。世俗化論が宗教社会学の主要パラダイムでありつづけてきた大きな理由はそこに求められるということである。
あるいは、世俗化論に代表される宗教社会学の歴史観を検討した山中弘は、その「宗教の周辺化という理論的回答と現実の状況との距離はあまりにも大きい」とみたうえで、「現代社会における宗教の変動を理解するためには、有効期限を過ぎた西洋近代の宗教史をモデルにする近代主義的な歴史観の枠組みから身を離してみる必要がある」と主張する[山中,2004: 126-127]。西洋近代における近代化過程を主要モデルとする従来の社会変動論では近代化と世俗化がセットをなすものとしてとらえられてきた。そのような社会変動論では今日の宗教復興は理解できない。そのような近視眼的な近代主義的分析枠組みからの脱却がいま求められているということである。
国民国家という単位をあらゆる「社会的諸過程の容器」とみなしてきた従来の社会科学の思考方法を、U. ベックにならって「方法的ナショナリズム」[Beck, 2000=2002: 14-15]と呼ぶとすれば、西洋近代を先例とする近代化過程を特権化するような社会変動のモデルについては、それを「方法的近代主義」と呼ぶことができよう。戦後の社会科学の発展の基本的骨格を形づくってきたのは、まさにこの方法的ナショナリズムと方法的近代主義であった。そして、この2つが宗教社会学の世俗化論の理論構造の根底にも存在していたことを中野や山中は明らかにしたといえよう。しかし両者とも、それにかわる枠組みは何かというところまでは明確にしえていない。
他方で、その国民国家の揺らぎとそれにともなう社会科学のパラダイムの再考の動きは、すでに1980年代に胎動し、1990年代に入ってからははっきりと目に見える大きなうねりとなってきた。そこには3つの大きな潮流を指摘できるように思われる。第1はI. ウォーラーステインに代表される世界システム論の流れ、第2はA. ギデンズ、U. ベック、R. ロバートソンらによるグローバル化論の流れ、そして第3はS . ハンチントンにおいてひとつの突出をみた文明論的分析の流れである。いずれも、国民国家を分析の単位として自明視してきた従来の社会科学が20 世紀末の現実を前にしてその説明力を失ってきていることを鋭く自覚したうえで、それにかわる新たな(より包括的な)分析単位を提示しようとしているところに共通の特徴がある。世俗化論にかわる分析枠組みを模索している宗教社会学にとっても、これらの動きは無視しえないものであるはずである。
本稿においてはこのうちの文明論的分析にとくに焦点をあて、その可能性と問題点を探ってみたいと思う。
文明という概念は20世紀の社会科学において、必ずしも広く受け入れられた概念ではなかった。この概念には、「未開から文明へ」という人類学における19 世紀的パラダイムの残滓が強くしみ込んでいるように感じられたということもあろう。20世紀に入ってシュペングラーやトインビーの手によって、西欧中心主義史観に対するアンチテーゼとしての比較文明学という学際的分野の開拓が試みられてきたが、それは社会科学の世界では明らかに傍流として扱われてきた。ハンチントンによる『文明の衝突』(1996年)は、著者が現代アメリカの高名な国際政治学者であり、またその標題がポスト冷戦期の時代の気分を鮮烈に表現していたということもあって、喧々諤々の議論を引き起こし、20世紀末の社会科学の世界における最大の話題作となったが、これにより文明の概念は一挙に社会科学のメインストリームに浮上してきた感がある。
ここではまず、彼による文明論的分析の再提起が現代の宗教復興現象の解釈のうえでもった分析的意義を、われわれなりに確認することからはじめよう。
1970年代半ば以降に顕著になってきた世界的な宗教復興現象に対して、おそらく最初に社会科学的に系統だった見通しをつけようと試みたのが、(ハンチントンも重要な先行業績として引照している)G . ケペル著『宗教の復讐』(1991年、原題は『神の復讐』)である。『宗教の復讐』と『文明の衝突』。この2つの物騒な題名を付された書物は、題名においてだけではなく内容的にも今日の世界をどう見るかということに関する重大な問題提起の書であり、20 世紀末を象徴的に代表する2つの社会科学書であったといってよいだろう。
ケペルはパリ政治学院の教授でイスラーム研究を専攻していた政治学者であるが、1970年代以降のイスラーム圏において顕著になってきた宗教復興現象が実はイスラーム圏に限定された現象ではなく、キリスト教圏やユダヤ教世界を含む全世界的に進行している現象であることに着目した。イスラーム圏では1979年のイラン革命を1つの頂点として「上からの」再イスラーム化や「下からの」再イスラーム化の動きが相次いでいる。西欧のカトリック圏でも、第2ヴァチカン公会議(1962-65年)における教会の世俗主義に対する妥協や、解放の神学における社会主義イデオロギーへのすり寄りに幻滅した人々による再キリスト教化の運動が、70年代半ばから明確なかたちをとりはじめている。アメリカのプロテスタンティズムの世界でも、それまで主流であったリベラルなプロテスタンティズムにとってかわるファンダメンタリスティックな宗教再生の動きが70年代に大きく支持を広げ、1980年の大統領選挙における共和党のレーガンの当選の最大の支持母体となるまでにいたった。またイスラエルでも、それまでの世俗的シオニズムに異を唱えてイスラエルのユダヤ教的アイデンティティを強化しようという宗教的シオニズムの動きが顕著になってきており、これがイスラエルとパレスチナ、あるいはイスラエルとアラブ世界との間の緊張の激化にさらに油を注いでいるという状況にある。さらにいえば、ケペルの視野には入っていなかったが、アジア世界の各地(とくにヒンドゥー圏)でも同様の宗教再生の動きが目立ってきており、多くの研究者が注目するところとなっていることはいうまでもない。
このような、1970年代を境に世界各地でほぼ時を同じくして起こってきた宗教再生の動きをケペルは、端的に「宗教の復讐」(世俗主義に対する宗教の逆襲)と捉えるのである。どういうことか。→続きを読む(頒布案内)