お手元にある社会学辞典をひもといていただきたい。そこにはおそらく「超自我」という項目があり、このフロイト精神分析の用語は、社会規範が内面化されたものとして説明されているだろう。社会学を学ぶ者にとって、超自我はそれなりに馴染み深い概念である。ところで、本稿の題名に含まれるもう1つの概念、「マゾヒズム」の場合はどうだろうか。確かに項目としては取り上げられている場合もあるだろう。しかしその扱われ方は超自我の場合とはずいぶん差があるように見える。マゾヒズムよりもその反対のサディズムの方が重視されている印象を受けるかもしれない。
社会学からの評価という面では、様々な精神分析用語のうちでも、超自我とマゾヒズムは対照的な扱いを受けてきた。(理論)社会学は一方で、社会規範の内面化としての超自我概念を受容し、社会学教科書にも登場する重要な位置を与えたのだが、マゾヒズムの方は、病理的現象としての関心は向けられるものの、周辺的な位置しか与えられてこなかったようである。だが、このような評価は本当に適切なのだろうか。フロイト再読解によって、これら2つを同じくらい重要な概念として捉え直そうというのが、本稿のねらいである。
フロイトにおける超自我論の展開を論じる場合には、まず何よりも、1920年の『快感原則の彼岸』と1923年の『自我とエス』という2著作に焦点が当てられるのが普通である。しかしながら、この2著作は超自我だけを論じていたわけではない。他の多くの要素を含みつつ議論を展開する過程で、超自我が次第に中心的な主題となっていったのである。そのことは、これら2著作の題名に、超自我という言葉が入っていないことからも伺われよう。このようにフロイトの超自我論は、それだけで自律したものではないため、それについてきめ細かく検討していくためには、超自我が他の主題群とどのように絡み合わされてフロイトの思考の俎上にのぼっていたのかに注目する必要があるだろう。
この検討のために本稿で主に用いるのは、問題の『快感原則の彼岸』と『自我とエス』が収録されている『自我論集』(ちくま学芸文庫)である。現在、この文庫では、フロイトの著作の新たな翻訳刊行が体系的に進められつつある。特筆すべき企画であり、今後フロイトを論じる際には、大いに活用されることになるだろう。しかしそれにも拘わらず、日本語訳だけに頼ってフロイトを論じることに大きな限界があるのは言うまでもない。本稿はこの限界に決定的に制約されており、この点については今後の課題としたい。
『自我論集』では、広い意味で自我に関するフロイトの重要著作を年代順に配列しているのだが、そこでは、これら2著作は一連の論文群によって前後を囲まれている。2著作より以前のものとしては、「欲動とその運命」(1915年)、「抑圧」(1915年)、「子供が叩かれる」(1919年)があり、以後のものとしては、「マゾヒズムの経済論的問題」(1924年)、「否定」(1925年)、「マジック・メモについてのノート」(1925年)がある。
これらの論文題名には、「欲動」とか「抑圧」とか「否定」とかいう、フロイト精神分析の重要なキーワードが散りばめられている。その中で異彩を放っているのが、「叩かれる」と「マゾヒズム」という言葉である。『快感原則の彼岸』と『自我とエス』という重要著作を挟んで、その直前と直後にマゾヒズムという主題が取り上げられているのである。
それだけではない。一連の論文の始まりを告げる「欲動とその運命」でも実は、マゾヒズム問題が重要な意味を担わされているのである。まずこれから見ていこう。この論文でフロイトは精神分析にとっての基礎概念である「欲動」を明確にしようと試みているのだが、「十分な知識が得られている性欲動」に関して、その「運命」は4種類に類型化されるという[Freud, 1915=1996: 26]すなわち、「対立物への逆転」・「自己自身への方向転換」・「抑圧」・「昇華」である。これらのうち「抑圧」は、同じ年の論文「抑圧」で論じられることになる。「欲動とその運命」が主に扱うのは、最初の2つ、「対立物への逆転」・「自己自身への方向転換」という「運命」である。
「対立物への逆転」に関しては、「二つの異なるプロセス」があるという[Freud, 1915=1996: 27]。第1に、「欲動の方向」の逆転であり、第2に、「欲動の内容」の逆転である。この第1のプロセスの実例としてフロイトが挙げているのが、「サディズムとマゾヒズム、窃視症と露出症の対立」である。ちなみに、第2のプロセスの実例は「愛が憎しみに逆転する場合」である。
サディズムとマゾヒズムの関係についてはさらに、「自己自身への方向転換」という「運命」が深く関わっている[Freud, 1915=1996: 27]。つまり、フロイトはこの段階では「マゾヒズムとは自己に向けられたサディズム」であると考えていたのである。「マゾヒズムはつねに、ここに示したような形でサディズムから派生するものであり、これと異なる本来のマゾヒズムは、存在しないようである」と、「欲動とその運命」には記されている[Freud, 1915=1996: 28]。まず積極的なサディズムがあり、その上で、方向が自己自身の方へ逆転し、能動性が受動性へと反転したマゾヒズムが事後的に成り立つという考え方は、私達の常識からしても比較的受け入れやすいものであろう。
ところが、この論文の1924年版に追加された原注によれば、「その後の考察において」、サディズムとマゾヒズムの関係についての考えは変更されることになったという[Freud, 1915=1996: 29]。ラプランシュとポンタリスの『精神分析用語辞典』によれば、「マゾヒズムを、サディズムの自己自身への方向転換には還元できないとする考え方がフロイトに受け入れられたのは、死の欲動の仮説が立てられてからのちのことであった」[Laplanche & Pontalis, 1973=1977:431]。1924年は、先述した通り、「マゾヒズムの経済論的問題」が発表された年である。1915年から1924年までの10年間に、フロイトの中でどのような思考の転換が生じたのだろうか。
4年後の1919年、「子供が叩かれる─性倒錯の発生の知識への寄与」が発表される。この論文は、精神分析臨床において、ヒステリーや強迫神経症の患者が、小さい頃から、子どもが叩かれるという特徴的な空想によって快感を得てきたと告白する場合が多いという知見に端を発している。
患者=被分析者本人は、この空想を6歳以降の学校における体罰と結びつけて解釈しようとするのだが、フロイトはそうは考えず、「実はこれはそれ以前に存在していた空想なのである」と考える[Freud, 1919=1996: 74]。しかし、空想の内容は曖昧で、その子どもが誰なのか、性別は何なのか、叩くのは誰なのかもはっきりとはしない[Freud, 1919=1996: 76]。問題は2歳から5歳までの時期における心的出来事であり、それは被分析者自身には想起できないとフロイトはいう[Freud, 1919=1996: 80]。そこで精神分析の登場である。→続きを読む(頒布案内)