日本において男性学が登場したのは1980年代後半のことである。「人間イコール男という暗黙の図式が、ほとんど無自覚にアカデミアを含む社会の諸領域に組みこまれていた時代には、ことさら男性性(男らしさ)が『問題』として取りあげられる理由はなかった」[中河,1989: 4]。換言すれば、フェミニズムによってジェンダーという分析概念がもたらされたことによって、はじめて「男であること」が問題含みであるという視点が成立したことになる。したがって、男性学は「フェミニズム以降の男性の自己省察」であり、「フェミニズムの当の産物」[上野,1995: 2]であるといえるだろう。 しかし、さまざまな立場の違いがあるにせよ、フェミニズムや女性学が「女性が被っている社会的矛盾や女性自身の葛藤」を「女性問題」[江原,1990: 4]として想定することが可能なのにたいして、男性学がどのような状況を「男性問題」ととらえているのかは必ずしも明確ではない。男性学が問うべき「男性問題」の内容が曖昧であるというこの事実は、男性学という学のアイデンティティ自体も定まらない現状を端的に表している。日本における男性学の展望を拓くためには、現在までの男性学史をとらえなおし、「男性問題」という問いが切り開く可能性を確認してみる必要があるのではないだろうか1。
そこで本稿では、何が「男性問題」として語られてきたのかを、そうしたクレイム申し立てが「クレイム」として登場しえた時代的背景をふまえて明らかにし、それがどのようにして「適切」とみなされた/みなされなかったのかを検討することで、「男性問題」という問いの射程を見定めていくことにする2。
男性をジェンダー化された存在としてみる視点がフェミニズムによってもたらされたことを考えれば、フェミニズム以降の男性をめぐる言説はいかなる立場をとるにしても、これを無視することはできないはずである。フェミニズムのおかれる時代的状況は、男性をめぐる言説に少なからず影響をあたえていると考えられる。この点にも、意識的に言及していくことにしたい。
江原由美子は80年代半ばを「フェミニズム論争の時代」と位置づけ、「いったん統合されたかのように見えたフェミニズム論は、内部におけるさまざまな対立点を明確にしつつ、論争の時代に入」ったとし、同時に「この時期こそ、『フェミニズム』という言葉が、普通の言葉として通用しはじめた時期であり、本格的なフェミニズム理論の導入がなされた時期でもある」[江原,1990:11-12]と整理している。すなわち、80年代中頃にフェミニズムは一挙にメジャー化したといえるわけであるが、江原によれば、その背景には、第1にメディアに女性編集者や記者が増えたことによる送り手側、第2にこの時代の前までの地道な活動が「女性問題」に関心をもつ女性の裾野をひろげていたという受け手側、この2つの要因があったという[ibid.: 13]。
日本における男性学の先駆けとされる渡辺恒夫の『脱男性の時代』は、こうしたフェミニズムが隆盛した時期に出版された。女性をめぐる議論の成熟という社会的状況を背景に、「男であること」の問題性が語られる余地も生じたのである。渡辺は、書店や図書館に「婦人問題」「女性問題」という棚が設けられる一方で、「男性問題」についてはそのようなタイトルの著作さえないことから、「女であること」に比べて「男であること」には問題がないと考えられる傾向があると指摘する[渡辺,1986: 1-2]。しかし、この想定は誤謬であるとし、「深層心理の領域まで降りてゆけば、『男であること』は『女であること』よりも一層多くの問題をはらんでいることが、性の科学と精神分析学によって、この20年ほどの間に明らかにされている」[ibid.: 2]と主張する。
このような認識を背景とする「男性問題」の視座は、「男性性は女性性よりも、脆弱で不安定である」[ibid.]という理解に基づく。それゆえに、渡辺は「傷つきやすい『男らしさ』が、問題を生み出していないはずはない」[ibid.]と考える。理論的な部分で注目しておきたいのは、〈女らしさ〉/〈男らしさ〉と女性性/男性性を別に概念化している点である。渡辺の整理では、〈女らしさ〉/〈男らしさ〉は意識可能な次元にある「性別役割」と、女性性/男性性は無意識的な領域である「性の自己認識」と関連づけて理論が構成されている。この分類にしたがえば、ある人が〈男らしい〉ふるまいをするからといって、その人の男性性が安定しているというわけではなく、むしろ逆に、男性性の不安定さを隠蔽するために過剰な〈男らしさ〉をみせる、といった理解が可能になる。渡辺は当時の時代状況を男性優位社会が崩壊しつつあると認識しており、そのため、性の自己認識を支える男性性の脆弱性が顕在化し、男性は「女性の、よりエロス的肉体への羨望」[ibid.: 14]を示しているのだと分析した。
1987年に『現代思想』は「男性論─揺らぐセクシュアリティ」という特集を組む。ここでは及川卓がやはり精神分析学の立場から「男性性の脆弱性」という論点を展開している。また、同特集では大島清が生殖生理学の見地にたって、Y染色体の貧弱さから生物学的に「男になること」の困難さを説明し、「これをYの悲劇と言わずして何と言うか」[大島,1987: 73]と述べている。渡辺をはじめとして、男性が抱えるリスクに着目した言説は、「男性の被抑圧性を主張する言説」として分類することができるだろう3。
同誌では、1989年にも「セックスの政治学─男のフェミニズム」という特集が掲載された。「メンズ・リブが必要だ」と題された上野千鶴子のインタビュー記事では、渡辺の議論にたいして、「マスキュリニティのもつ特権性を問わずに、それがもつネガティブな側面だけを過大に問題化し、その反面、たとえば『美』という、女性に与えられた規範の抑圧性をまったく無視して、その特権性だけを問題にしてきた」[上野,1989: 41]と批判している。
上野による渡辺批判の要点は、女性/男性が「美への疎外」/「美からの疎外」とそれぞれ異なった立場に置かれていたとしても、「美」の基準を設定しているのはあくまで男性である、ということにある。つまり、男女間における権力の非対称性という視点の欠如という理由から、「男性の被抑圧性を主張する言説」の「適切さ」に疑問を投げかけているのである。上野によれば男性がするべきは、「彼らに与えられたマスキュリニティという規範のなかの特権性と抑圧の政治性を─特に抑圧者としての政治性を─自問自答すること」[ibid.: 42]だという。にもかかわらず、そのような試みがなされないのは、男性が「マスキュリニティから抑圧以上に利益を受けているから」[ibid.: 45]だと、上野はみる。こうした議論は「男性の被抑圧性を主張する言説」にたいして、男性の権力や利益に着目する「男性の権力性を批判する言説」といえる。→続きを読む(頒布案内)