社会科学基礎論研究会年報社会科学基礎論研究第4号
論文

出産の正常と異常をめぐるポリティックスと胎児の生命観

大出春江
1.出産における医師と産婆の分業
2.正常産に越境する医師の登場
(1)  医師と産婆の量的拡大と地域格差
(2)  「病院主義」の台頭
(3)  健康保険による分娩給付という概念の成立と普及
(4)  産師法制定運動の誕生と展開
3.昭和初期の出産の医療化
(1)  帝王切開術の普及
(2)  陣痛促進剤使用の日常化と産婆の姿勢
4.変化する胎児の生命の重さ
(1)  穿顱術と「畸形児」
(2)  独立していく胎児の生命
5.出産の医療化と生命観の変化
キーワード:
産婆、産師法、昭和初期、出産の医療化、胎児、帝王切開、陣痛促進剤、生命観、健康保険、助産の栞
書誌情報:
『年報社会科学基礎論研究』第4号(2005)、ハーベスト社、pp.132-149

1.出産における医師と産婆の分業

 本論は、出産の医療化はどのように進行したのか、出産の正常と異常の境界をめぐり、医療の近代化を推進する担い手であった産婆(助産婦または助産師と同義に用いる)と医師が、実際にはどのような分業の形態をとっていたのか、という関心にもとづく研究のひとつである。

 明治期の医師は日本の近代国家の建設の担い手として健康な国民を育てることを大きな使命とし、この目的を達成するために産婆教育が不可欠だと考えていた。国家や自治体による教育の普及を待たずに自ら産婆学校を創設する医師たちもいた。新潟私立産婆養成所を設立した笹川みす(1855-1918)のような産婆による産婆教育は例外的であり[大出,2000: 11-12]、少なくともフォーマルな水準の産婆教育の多くは、医師によって行われていた。

 しかし、医師が本来担当する領域は異常産であり、産婆の領域は正常産に限られる。産婆の医療行為を一切認めない、という認識は産婆取締規則(1867年)、医制(1874年)、そして産婆規則(1899年)以来、一貫している。したがって、産婆が出産を異常と認めたならば、必ず医師を招き指示に従わなければならない。にもかかわらず、現場の要請によって、産婆は異常産であると判断しても、助産の手を止め医師を招くことを常に行ってきたわけではなかった。

 一部の医師たちは、産婆が顧客を奪われたくないために違反行為をしているのだと批判もしたが、多くの場合、緊急の事態を乗り切るために医師を呼びに行く余裕などなかったのである。最大の理由は交通機関や通信事情にあった。 加えて、出産は産婆に頼むものということが当時の人々にとっての常識であった。また異常産であるからといって、産婆の要請に応じて医師がすぐに産家へ往診に向かったわけでもなかった。

 1899(明治32)年、産婆規則が制定された。国家が産婆の職能をこの規則によってはじめて規定したという意味において、1899年は近代産婆が誕生した記念すべき節目といえる。ただし、産婆規則は産婆とは誰か、という規定はしたが、産婆の職能を独占排他的に認めたものではなかった。そのために、医師と産婆の数がそれぞれに増大してくると、両者の関係は異常と正常の境界をめぐって、ライバル関係に入ることもしばしば起こるようになった。

 昭和初期の出産をめぐるこのような社会的環境を、本論では当時の雑誌を手がかりに都市を中心に再構成していく。資料として用いるのは『助産の栞』である。この雑誌は、ドイツで産科学を学びドクトルの称号を得た緒方正清が主催する緒方助産婦学校の学会誌として、また遠隔地に住む産婆や医師にとっては新しい情報を入手できる通信テキストとして、1896(明治29)年から1944(昭和19)年まで50年近くにわたり発行された月刊誌である[大出,2003: 26-27]。この作業を通じ、2章では医師と産婆の分業関係を中軸に、出産の医療化の具体的様相の1つとして、医師の正常産への越境とその要因を明らかにする。

 本論にはさらにもう1つの目的がある。それは、当時の医療者および産む女性や産家が、子どもの存在や生命をどのように捉えていたのかを明らかにすることである。当時、進行する出産の医療化が子ども(本論では胎児が中心となる)に対する見方をどのように変えていったのかを雑誌の記述から浮かび上がらせていく。3章では昭和初期に帝王切開術、陣痛促進剤が普及していったことを示す。帝王切開術は母子の2つの生命を共に救うことを可能にするテクノロジーとして期待され、陣痛促進剤は自然の分娩経過を待つのではなく、医療者が人工的に介入し分娩時間を短縮することを可能にした。これらの変化は昭和初期において産婆に「お産を自然に」と主張させていく。

 『助産の栞』には正常産の専門家として、そしてプライマリケアの担い手として必要な知識の他に、異常産とそれへの対処に関する情報が主流といえるほど大半を占める。4章ではこの異常産の中の「畸形児」について、医師と産婆のまなざしが対比される。さらに胎児が母親の生命を脅かす分娩の局面で、2つの生命に医師や産婆がどのように対処していたのかを示す。具体的には、母体内で生きている胎児を切断することで母親の命を優先的に救う従来の方法が、医療テクノロジーの普及によって変化していく様子が明らかにされる。

 以上から、昭和初期の医療化が社会的枠組みを得て急速に進行し、それらが当時の胎児観、生命観に明らかに影響を与え変化させていったことを示す。出産の医療化という概念は、こうした具体的様相の理解を踏まえてはじめて実質的検討が可能になると考える。

2.正常産に越境する医師の登場

(1)  医師と産婆の量的拡大と地域格差

 昭和初期の出産をめぐる社会的環境は、医師と産婆の量的拡大によって特徴づけられ、その性格は明治期とは明らかに異なってくる。量的な拡大といっても、当然のことながら地域格差は大きく、都市と郡部とでは大きく異なる。

 1933(昭和8)年には和歌山で開業1年目の産婆が、近況報告をかねて緒方祐將(当時の緒方病院院長・緒方助産婦学会会長・大阪府産婆会会長)宛ての相談を『助産の栞』に寄せている。産婆が開業したその地域では、異常のない出産はほとんど自宅で親にとりあげてもらうか、経験を積んだ老婆が取り扱う。開業したばかりの産婆は異常産で呼ばれることが非常に多く、経験のない異常例もある。異常産の時だけ呼ばれるのではなく、地域年間出産数およそ150 件のうち、せめて半分程度でいいから扱うようにしたいのだが、どう対処したらいいかという相談である。緒方の回答は「〔村民が〕無知なためしばらくはじっと待つ他はない」とある[栞455 号,1934: 5785](栞は『助産の栞』の略。以下、同)

 437号(1932年) の「内外時報」欄には内務省衛生局調査の結果が紹介されている。それによると全国10,386 町村のうち「開業医の居ない町村が 2,909、開業産婆の居ない町村が 3,611 町村の多数に及んでいる」。当時の内務省統計を用いて府県別にみると、医師や産婆のいない地域が1割前後という府県もあるが、山梨、鳥取、岡山、広島、沖縄では産婆のいない町村の割合が半数を超える。地域格差は極めて大きいが、平均すると1/4 ほどの町村に産婆がいなかったり開業医がいなかったことになる[栞437 号:1932; 内務省統計局: 1933, 399]

 都市では比較的、道路や交通機関は地方よりも整備されていたはずだが、それでも産家を訪問するための往復だけで多くの時間を必要とする場合、医師は産婆や産家に呼ばれてもすぐに行くとは限らなかったようだ。また多忙な産婆になると助手を産家に派遣し経過をみさせ、連絡を受けながら必要に応じて他の仕事が一段落したところで産家を訪れるなどしていた。

 産家側からすると、医師への依頼は支払いを含めて敷居が高いため、異常がない限り産婆に分娩を任せたいという態度が支配的だった。なによりも出産は産婆に任せるべきだという考え方は少なくとも都市では一般的だった。極端な事例ではあるが、後産が出ずに医師を呼んだところ、産家が産婆に対し、本来胎盤を出すべきなのに、それを産婆ができなかったのだから医師を呼んだ分は産婆が払えと要求してきたエピソードや、産婆が医師を呼べと勧めても産家が納得しないため、結果的に産婆が全部とりあげたエピソードなどが登場し、この時期の産家側の態度の一端を示している。医師よりも産婆の方が長年のつき合いと信頼関係と親しさがあるために医師は呼びたくない、という産家側の要望があり、産婆は1軒1軒の家々と密接につながっていた。→続きを読む(頒布案内)

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文献

井上秀子
1929 『最新家事提要 改訂版』 東京文光社.
石丸優三
1928 『社会保険の研究』 有斐閣.
川村秀文・石原武二・簗誠
1939 『国民健康保険法詳解』巖松堂書店.
厚生省五十年史編集委員会
1988 『厚生省五十年史 資料編』 厚生問題研究会.
小林良一
1915 『現代婦人寳典: 趣味と常識』 大日本雄弁会.
町田辰二郎
1933 『我国共済組合の現状』 協調会.
内務省統計局
1933 『第52 回日本帝国統計年鑑』 東京統計協会.
1938 『第57 回大日本帝国統計年鑑 昭和13年版』 東京統計協会.
中川清
2000 『日本都市の生活変動』 勁草書房.
日本助産師会東京都支部・東京都助産婦会館歴史委員会
2002 『東京助産婦会のあゆみ』(岡田助産院活動記).
岡本喜代子
1981 「助産婦活動の歴史的意義─明治時代を中心に」『助産婦雑誌』 第35巻8 号 21-43.
大出春江
1986 「産む文化─ある開業助産婦のライフヒストリー(その1)」『上智大学社会学論集』 10 号 65-87.
2003 「明治期日本の助産婦に向ける医師の統制と期待─出産の正常と異常の境界をめぐって」『東京文化短期大学紀要』 20 号 25-35.
東京家事研究会
1926 『文化生活 新家庭文庫 後編』 東京家事研究会.
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